2011年3月5日土曜日

青い空、そよぐ風

そこまでマニアではないけど、攻殻機動隊は結構好きで、昔、大体一通りみた。

近未来に実現しそうな社会を前提に話が進むので、それを想像したり、受け入れられないとなかなか理解するのが大変。それでその社会で起きる問題が結構複雑。話を理解するのがやっとで、予想外の展開にひっぱりまわされ、非常に楽しかったなあ。

しかし、"イノセンス"で、ちょっと理屈っぽくなりすぎて、なんかちょっと残念な感じがした。

それで、この前、たまたまスカイクロラを見る機会があった。イノセンスのせいで全然期待していなかったんだけど、これはすばらしかった。

話の説明があんまりなくて、少しずつ事実が分かっていって、え、じゃあ、そういうことなの?っていうのが、結構、衝撃的で、SF的な要素もからんで、絶妙だった。

物語の設定では、登場人物たちの世界は、とても幸福な状況とは言えないんだけど、それでもそれが日常で、その世界を人々はたんたんと生きている。希望があるわけではないけど、絶望に満ちているわけでもない。

話が進むにつれて、だんだん、悲しい過去があきらかになっていって、もうどうしようもなくない感じになるけど、そんななかで主人公は最後にとてもやさしさを見せる。

主人公は、その後に戦死してしまうようで、ある種バッドエンドなんだろうけど、なぜか、すがすがしいとまでいわないけど、なにか余韻が残る。せつなくも美しいとはまさに言いえていると思う。青空の描写が非常に印象に残った。

なんとなくあいまいな話のようにも思えるが、そうではなく、いろんな世界の現実を見事に表現していると思った。世界の現実の中で、生きる人々の感覚、狂気、やさしさ、女、男。

ナウシカの最終巻を直前に読んでいたせいか、なにか似たような感覚がある気がした。絶望のなかで見つける希望、生きるという感覚かな?

2011年2月19日土曜日

80TFLOPSvs 人間

そうか、クイズで人間の脳に勝つなら、80TFLOPSで十分なんだな。

http://www.youtube.com/user/ibm#p/u/6/lI-M7O_bRNg

Watsonのシステムは、ピーク性能は、旧地球シミュレータの2倍程度で、Power7使っているらしい。eDRAMも大活躍だな。演算性能もすごいけど、データベースの技術がもっとすごいのかな?

3日間のJeopardyのチャレンジだが、引き分けからはじまり、中盤で力を見せつけ、最後に見せ場まであって、 ちょっと話ができすぎてる気もする。
こりゃあ、宣伝効果としては凄まじいな。大金持ちがこぞって、余興用に買うんじゃないか。

今回のJeopardyでの勝利はすごいのか、すごくないのか。 個人的には、はじめに、すごい衝撃を受けた。ついにこういう時代が来たのかと。でも、googleで検索したようなことをまとめてるだけじゃんとか、今はこんなの結構できるよとか言う人がいて、まあそういう面もあるかなとも少し思う。検索エンジンに人間が勝てるわけないんだから、そんなので競わせるのはちょっとずるいというか、勝てなくてあたりまえじゃん?っていう感覚かな。

まあ、でも、確かに、人間の知性が機械の処理に負けたわけですよ。なんとも同じ人類として、複雑な気持ちは少ししたけど、むしろ、それよりも、Watsonにシンパシーを感じたかな。きっと、人間の脳の処理も、なにかしら、Watsonと同じような処理を行っているんだろうなという漠然とした共感があった。全然異質のことをやっている別種ではなく、同じことを目指して似てきているんだろうなという感じ。結局、どちらも、入力の情報に対して、並列の投機実行みたいなことをしているというのが、非常に大雑把な理解。Power7のクラスタで機械学習のアルゴリズムをいくつも並列に実行してて、脳もアルゴリズムは違っても、無数の並列の処理をやってて、confidence の比較で最終のアウトプットを出しているんだろう。

これから、この手の話やサービスが、驚くように出てくると思う。今回、自然言語処理ができるー!って見せつけてくれたわけだけど、これは画像処理ともすぐ結びつくだろう。そのコンビネーションも、また、人類、社会にすごいインパクトを与えるのは必至だ。さらに、五感を処理できるようになって、ロボットの運動制御なんかとも結びついて、ネットの情報も使うようになって、そこまでいったら、クイズどころの騒ぎじゃなくなるな。そのうち、人間にない感覚すら情報源にして…。

ちょっと前まで、遠い世界のことのようなことだけど、今回、80TFLOPSできちゃったわけで、もっとすごいことも、今のペタフロップス級のスパコンでできるよな。もう、いち早く、安く、面白く、誰が先にやるかの問題になってきてるのかもしれない。5年以内、10年以内に大変なことになりそうだ。怖いし楽しみ~。

2011年2月9日水曜日

すっかり

すっかり、更新していなかったら、世の中、ずいぶん激変してしまった。
ARM、android、他いろいろいろいろ。
一年も経ってないのに、世界の変化が速すぎる。

なんか、いろいろばーっとはじまってしまって、新しい場が出来上がってしまった気がする。並列性能が高いのがいろいろあるのはいいから、どう使うかで見せてって感じにったかな?



これから、テキストじゃなくて、もっと映像と音声を使うようになって、処理の内容、入力ハードウェア、機器のスタイルや構成がもう一段変わるだろう。

そうやって、たぶん、根本的に変化するときっていうのが、近い将来にある。ひょっとすると、今の変化ですら、まだその前触れでしかないくらいの大きな変化が。

そんな変化が起きるなら、世界が変わり、ルールが変わる。そんな時は、従来価値があると思っているものが陳腐化し、無駄だと思っているものが必須のものになったりする。

そのときは、googleが無価値になることだって、全然あり得るんだろう。


でも、その先がわからないんだよなあ。

2010年5月9日日曜日

Googleの先にあるものの妄想

you tubeを適当に見ていたらGoogleの音声検索の動画があった。



前からGoogleの音声検索の存在は、噂程度で知ってたけど、あらためてびっくり。やはり、どうやってるのかが気になったのでググってみると、音声をサーバー側で処理しているそうだ。やっぱりGoogleだからユーザーが使った音声データをどんどんためて、どんどん性能が良くなるみたいなことをしてるんだろう。確率的な処理らしいから、ベイズなのかな。

まえに、これからの時代、HPCの個人利用が現実化してくるんじゃないかと、うだうだいっていたが、これなんかまさにそうだ。もうすでに実現していたっちゅうことだ。

この音声検索を実行するには、端末の計算性能は全然いらない。必要なのはGoogleの持っているサーバーの計算能力とアルゴリズムとサンプルの データの蓄積だ。あとは、ユーザーが貧弱なモバイル機を持っていればよい。

それにしても、これはもうある種の脳が、Googleのサーバーで作られているようなもんだ。従来の単なる情報処理とは呼べないような、関係付けられた 膨大なデータから認識を行うという意味で、ある種、脳型だ。
 
そういえば、話はとぶが、この前Googleのハードやソフトに関するweb記事をみてちょっと面白かった。Googleは、コモディティーサーバーを膨大な数つなげて、検索に必要な処理を行っているらしい。これは、コモディティー化の恩恵を活用しているという点では、今のHPCの主流のクラスタと似ている。自分は気づいていなかったが、実はGoogleは、コモディティー化を活用して成りあがった企業なのだ。

しかし、Googleのサーバーと、普通のHPCコモディティークラスターとちょっと違う点は、故障対策についての考え方で、基本的に壊れてもいいように、安いハードで冗長性を持たせることで、実現してるそうだ。それをスケールアウトっていってたかな。個々のサーバーがそれぞれ情報を冗長化する。それで大規模並列で実行する。

これは、脳の情報処理と非常に似ているところがある。神経細胞ひとつが単一の情報を表現するんじゃなくて、神経細胞集団が冗長にひとつの情報をコードしているといわれている。神経細胞は毎日、結構な数が死んでいるが、それでもあまり困らないのは冗長性があるからだろう。それで、やはり大規模並列で処理を実行している。

別にGoogleが脳にヒントを得て、スケールアウトの方法に行きついたわけではないだろうが、Googleも脳も、ある種の認識処理を目指した結果、似たような構造や仕組みに行きつくいているようで、なんとも面白い。

Googleを見て、先の将来どのようなことが起きるかを考えるのは意味があるだろうし面白そうだ。

今ですら、Googleにあるサーバーに対して、世界のどの人間も検索能力では勝てない。人間を超えた知性に似たものが、もう毎日無くてはならないものとして働いているのだ。この"知性"は、これからまだまだ拡大するだろう。音声認識、言語認識、画像認識、動画認識、もう、本当、脳みたいだな。すでにあるかもしれないが、脳にはない感覚に関する領野(=サーバー群)や高次情報処理領野ができていくだろう。

そうすると、ますます、Googleのサーバー群でしか処理できない情報というのがでてくるに違いない。一体どこまでその進化が続くのか想像できないが、計算機の進化、ネットの成長はまだ10年は最低続くだろうし、この手の認識系のサービスはまだはじまったばかりで、当面は進化は続くだろう。とりあえず、あと10年後には100倍の計算リソースを使って、より高度な認識か、もっと進んだなにかをやっているはずだ。

認識系が発展してなにができるのか、具体的にわからないが、たぶんできてしまえば使い道はいくらでもある。認識のサービスは、知的労働をやってくれるようなもんなんだから。ロボットは認識系の、恐らく最も有望な適用方面だが、そのロボット産業がこれから発展するのは間違いないから、その需要も莫大にある。


今は、Googleのような認識に近い情報処理を行う、巨大な脳型処理機構(といっていいか知らないけど)は、ほぼ一つしかない。そういう企業が、今後もGoogleしかないんじゃあ、いろいろ問題だ。多分、そうはならなくて、Googleに対抗する異なる巨大な情報処理機構を形成する組織が作られていくはずだ。そして、それら情報処理機構間での相互作用、競争、戦争が問題になってくんじゃなかろうか。

そうするとより優れた認識処理を実行するということが、一つの価値基準になっていくだろう。そういう未来が来たら、きっと真の脳型情報処理が必要とされるのじゃないかと思う。

いつそんな未来が現れるのか。もちろん、永遠に来ねえよってことはあるけどもさあ。でも、あと10年でひょっとしてとは思うな。5年じゃ無理だな。5年後には、モバイルとクラウドの波が最高潮に達しているくらいだろうか。そうした状況に乗じて、新しいサービス企業が出始めるだろう。そこらへんで、Googleに対抗できる組織がでてくると面白いことになりそうだ。

はーい、妄想おつ

2010年5月5日水曜日

絵画という内部表象の記録

昔、自分の青い時代に、ピカソの絵と発言が並べて書いてある本を買って読んだことがある。あの本まだどっかにあるだろうな。今も当時も、全然、芸術とかわかってないんだけど。

絵のことはわかるような、わからないような感じだったんだけど、ピカソの言葉には今でもよく覚えている印象的なものがいくつかあった。そのひとつに、あいまいにしか覚えていないが、

”いつか、私の絵を科学者(脳科学か、心理学者だったか?)がみて感謝するときがくるだろう”

みたいなことがあった(はず)。ピカソは脳内の表象的なものを出力しているにすぎないみたいなことを確か言っていて、当時、(ピカソの)絵って、そういうもんなんだなあと、すこし納得したような気がした。でも、まあ、科学者がピカソに感謝なんかすることにはならねえだろうと思っていた。

と、最近、ミラーニューロンの本を読んでいて、アフォーダンスのことを考えていたら、たまたまピカソのことを思い出して、ピカソの絵画に描かれている、ゆがんだり、デフォルメされたりしてる、非現実的な描写は、ある種、アフォーダンスのようなものを、ピカソなりに描いていることなんだなとふと思い至った。きっと彼は、現実世界の描画する対象に対して、彼の脳が持ついろいろなアフォーダンスを、彼なりのルールで表現したのではないだろうか。彼は、ひょっとすると、かなりそういう脳の中の情報表現、アフォーダンスを直接見る能力をもっていたのかもしれない。

それにしても、昔はまさか自分が神経科学関連に進むとは思っておらず、こういう形で、ピカソの言葉を実感する日が来るとは想像だにしなかったなあ。

アフォーダンスという概念は、普通の人にとって、多分なんかまったく理解しがたいという感じはなく、誰でも脳内に持っていて、普段無意識に使っているから、考えてみればわからなくもないというものだろう。でも、それを、科学を知らない、芸術家が自分の内なる世界を観察して、考察することで、独自に見いだして、自らの方法で表現したというのは、偉い。ピカソはやはり偉大だ。

ピカソの絵を研究対象とするまでの境地に、まだ自分は到達していないが、それどもちょっと、なにか納得したので、感謝したい気持ちだ。世の中、なにがどうつながるかわからなくて、面白いな。

2010年4月3日土曜日

GTX480/470登場

数日前、GTX480/470の正式発表があって、ベンチマーク結果なんかも出始めている。
GTX480は、ゲームの性能に関しては、概ね、AMDの1GPUよりいいみたい。

なんか、でも、気づけばAMDのGPUって2.72FLOPS(SP)で、Nvidiaの倍以上あるんだよな。いくら、ピーク性能にすぎないっていっても、倍以上違うのに、ゲームの性能では逆転するもんなんだな。

だとすると、なにが効いているんだろう?3Dの描画のことはよく知らないからなあ…。3Dグラフィクス表示のための特有の固定機能の違いなのか、それとも、汎用的な作りが実行性能を高めるなんてことが起きているのか?キャッシュって効いている?なにがボトルネックになっているかわからないから、なんともいえないか。すくなくとも、ゲームに関する実行性能は、Fermiのほうがよいと。

でも、AMDのGPUでも、うまくはまっちゃう計算って、GPGPUならありそう。

ゲームユーザーは、きっとGPGPU性能なんか望んでいない。今のところなんの足しにもなっていないから。 ゲーム内の物理演算には必要なんてことはあるんだろうけど、まだそこまではやってないみたいだし。最近はAMDのほうが旗色が良いのは、そういうことなんだろう。

一方、GPGPUユーザーは、どう思っているんだろう?確かに倍精度性能とか、ECC対応なんかは、非常に望ましいんだけど、単精度でこれほどの性能差で、いろいろ消費電力とか無理があって、どう思っているんだろう?

個人的には、数倍のハード性能よりも、やっぱりGPGPUのプログラムの開発環境やサポート具合がしっかりしていることが重要だから、やっぱりまだNvidiaというか、CUDAだな。だけど、もし、OpenCLが、どのGPUでも簡単に動いて、簡単に比較できるようになって、AMDのほうが倍以上性能が出て、消費電力も小さいとなったら、もう、わかんないな。とりあえず、1年くらいは様子見かな。

さてさて、GPUの汎用化が吉と出るか凶と出るか、じっくりとみさせていただきますよ~。

2010年3月7日日曜日

ナルト

ナルトが好きだというのはちょっと恥ずかしいってばよ。でも、毎週見ている。

何が面白いかというと、なんか絵がカッコよくて、忍びの技がカッコイイのだ。うーん、小学生と変わらないなw

でも、それだけじゃなくて、もっとこの作品で重要なことがある。それは、復讐にどう立ち向かえばいいのかということを、テーマとして真正面から取り組んでいるのだ。


ナルトの世界では、忍び同士の殺しあいがあり、いろいろ遺恨が残り、それで復讐が連鎖する。ナルトの友達のサスケも復讐に取りつかれて、人生を踏み外している。

ナルトは、自分と境遇の似たサスケを思い、どうすればいいのか、苦悩する。そして、復讐者の気持ちをなんとか理解しようとして、その連鎖を止めようとがんばる。

まだ、物語でナルトが一体どういう答えに行き着くかは語られていない。問題が難しすぎるため、作者が最後に納得できる答えを描けるか心配だが、同時にとても期待もしている。

この作品は、全世界で子供たちに非常に人気がある。復讐の歴史を現実にもっている民族の子供も読んでいるかもしれない。

もし、復讐する側、される側の人間が、この漫画を子供のころにでも読んでいたら、きっとなにかが変わるんじゃないかと思う。もちろん、現実はそんなに生易しくないし、現実に問題を抱えている人間にとっては、この漫画はきれいごと過ぎるように感じるかもしれない。

それでも、本気で復讐という難しい問題に正面から立ち向かっているということが、この漫画から気迫として伝わってくるような気がして、それはひょっとしたら子供の気持にも伝わるんじゃないかと、とても期待している。

戦争放棄を行った国が、漫画で世界に強い影響力を与えられるところにいて、こういうテーマを世界の子供に語りかけているということは、日本ならではの最高のアイデンティティーを発揮しているといえるんじゃないかと、なんとなくぼんやりと本気で思っている。

2010年1月29日金曜日

なんだかよくわからんが、とにかくすごい自信だ!

GPGPU系のあつまりがありましたと。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/20100129_345703.html

そんで、とても印象に残ったのがこのスライド。
http://pc.watch.impress.co.jp/img/pcw/docs/345/703/html/ph10.jpg.html

すげー。開発費がなんという右肩上がり。これは、でもそろそろ抑えないと破綻するんじゃまいか…。破壊的イノベーションの破壊される側のようだ。肥大化したハリウッドとかゲーム産業の末期のようだ。

なんでこんなに強気というか、HPCを信じられるんだろう、社長。これまでいくつもの会社がつぶれてきたのを知ったうえで、俺らは違うんだよ?という のは、なんだかよくわからんがすごい自信だw

ひとつの根拠は、ゲームに乗っかっている限り大丈夫ということなんだろうな。 だから、問題はそのゲームに乗るという方法が、これからどうなっていくかというところか。

結局、こうなってくると、HPCの方向性は、ゲーマーの手にかかっているともいえなくもないのか!

別にゲーマーの人を悪く言うつもりは全然ないが、なんかNvidiaにうまいこと使われているような気が…。まあ、どっちも満足できるwin-win状態だからこそ、市場で生き残れるんだから、余計なおせっかいというものだ> 俺

いつか奇跡が起きて、ゲーム向けの収益をGPGPUの収益が逆転するなんてことはあるんだろうか?ひょっとして、そういう秘策がなんかあるんだろうか?社長に聞いてみたいな。

2010年1月21日木曜日

つれづれ石

最近特にモバイルコンピューティングの話が盛り上がってきて、一方、Fermiがそろそろ出るという話だ。その先の流れはどうなっていくのかなあと、ずっともやもやしてる。

モバイル向けに、CPUとGPUは同一ダイで統合されていかざるをえない。モバイルじゃどうせ、重い計算のあてが当面ないし、GPUは適当につんで置けばよくて、必要な場合はクラウドコンピューティングにやってもらえばいい。どうせネットでつながっているんだから。

そうか、モバイル化がすすむということは、その分重い計算をサーバーにオフロードする機会が増えるということで、結果、クラウド需要が伸びることにつながるのかもしれない。要するに、モバイルコンピューティングと、クラウドコンピューティングの2極化が進むことになるのかもしれない。そうやって、クラウド需要が伸びれば、サーバー用のチップの需要ものびて、そっちでハイエンドGPUの需要が出てくるのかも。だから、デスクトップGPUは、別に死なないのかも。なんか、前に他の誰かがいってたことと同じ結論のような…。まあいいか。

だとすると、ハイエンドGPUの縮小版をモバイルに展開するというのは、開発コスト的に有利でよいのかもしれない。でも、モバイルとサーバーって状況が違うから、それぞれに特化させたほうがいいような気もするな。まあそれはいいとして、それより問題なのは、やっぱりCPUだな。GPUをモバイル、ハイエンドで開発するのにあわせて、CPUまで開発しないといけなくなるのは、本当に大変だろうな。

そうすると、結局、Tegra見たいな、適当な低消費CPUと組み合わせていくっていうのが、モバイルでは正解なのかな。一方、ハイエンドGPUのほうは、とにかくぶっこめるだけぶっこんで、300Wとかやればいいのかもしれない。そのかわり、サーバーで使えるように、高信頼性、汎用性がいると。

なんか、そうやって考えると、Nvidiaの今の方針って、完璧な気がするなあ。でも、Fermiのことで世間ではすごい叩かれようだけれどもw

ここで思ったのが、ひょっとしたら、モバイルコ化、クラウド化っていうのは、一見、個人の計算リソースを貧弱にするような気がするけど、実は逆で、誰でもハイエンドの計算リソースにアクセスする機会を作りだして、本当にHPCが個人の使用に降りてくる新しい世界を作り出すのかもしれない。

みんな、ネットブックとかタブレットなのに、画面はSLIマシンよりもリッチなゲームがでているような世界。

そうか、だとすれば注目するのは、モバイルPCの成長に加えて、クラウド型のサービスの成長なのかも。Chrome OSみたいなやつ。

クラウドって言葉はなんか胡散臭いと思っていたけど、なんだかんだで需要があがって、実用的な存在になっちゃうのかも。

この2極化の流れは、これから両方向で極端なところまでいくだろう。モバイルはより省電力で、通信性能に特化して、演算はサーバーにオフロードする方向。サーバーは多数のユーザーからの演算を請け負うのに特化した性能。

まあ、どっかでローカルで重い処理が必要なアプリが発明されたとき、ゆり戻しがくるかもしれないが。

2010年1月1日金曜日

富野監督を超えろ!

あけましておめでとうございます!

昨年の終わりくらいから、来年はどうして行こうかというのが、いまいち自分でつかめず、いろいろ決心しては、心がおれたりしながら、うろうろしていていいモンを見つけた。

http://www.4gamer.net/games/103/G010304/20091221034/

また、富野監督のもんすごいぶっちゃけはっぱかけトーク。

いろいろためになることがあるんだけど、一番、今の自分にとって重要だと思ったのは、常に自分で考えて行かなければならないこと。

あと、わかっていたつもりだが、あらためて重要だと思ったのが、そもそもの部分からやっていかねばならないこと。あたりまえのところでも、そもそも本当なのか、なぜなのか、考えても無駄に思えてもまた繰り返して考えるくらいのことが実は非常に重要だということを、久しぶりに思い出した。

でも、多分、実はこれだけではまだなにかが足りていない。それは、多分全く違う方向、ジャンルのもの。それがなんなのかは、まだよくわからない。それを見つけなければ、富野監督は超えられん!

2009年12月25日金曜日

最後まで煮え切らない

機動旅団八福神の新刊でてるなと思ったら最終巻でした。

戦争の部分はなんかすっと終わっちゃって肩透かしで、最終巻のメインは"その後"。

なんか煮え切らないなかでの詩的でリアルな描写がよいのがこの漫画のいいところだ。最後の展開はまたなんとも煮え切らない。でも、最終巻通してのメッセージはなんか肩透かしを食ったような感を受けたなあ。自分の理解というか感覚がなんか追いついていけてないところがある気もするけど。

煮え切らないということは、漫画として落ちとかカタルシスに至りにくいわけで、それは劇的ではない現実世界に近い。だから、勧善懲悪とは程遠くて、誰が正解でもない、人生いろいろな感じになって、ゆるいといえばゆるくなる。そしてこの漫画はそういう感じで終わった。

そういう感じは、下手すぎる語り手でよくあることだが、この漫画は作者があえてそうやって話を展開させているようで、そこから描いていこう、見出していこうとしているから新鮮で面白かった。

そういうのって、いかにも悩める若者にありがちな空気感というか、シュールだけどロックみたいな感じで、実際のはなしも青春ロボットものだから、こてこてといえばこてこてかな。

それにしてもこの漫画で一番言いたかったことは、名取のことなんだろうか、半井のことだったのだろうか。突出していたのは名取の存在だ。あの自分の変な価値観のなかで完成されていく感じは、唯一無二で、違和感というか、はっきりいって気持ち悪い。半井は対極にいて、透明で空っぽのような人格で、屁理屈くさい名取に反抗していくような存在。この2人の対比がメインのテーマなんだろうけど、まあやっぱり、名取が強烈な引き立て役で、半井が答えなのかな。答えになっていないところがこの漫画かな。

2009年12月13日日曜日

がんと死

立花隆のNHKスペシャルを見た。がんの特集。番組の最後に、がん患者の最後を多くみてきた医師との対話があった。その医師は死ぬ場所をどこがいいか患者に聞くそうだ。患者は死の運命を悟りながら、家族達と最後の時を待つ。患者が、死を受け止めて最後の時を迎える様は、そう悪くはないように見えた。

人間は死によって完成する。と、天だったかで読んだような気がする。それと同じ印象を受けた。人間、最後は誰でも死ぬ。人生自体の本当の目的など誰も知らない。皆、なにかを見つけてそれをやりながら、生きるほかない。そういったものを思い出しながら、自分の終わりを感じて、受け入れることは、なにか超越しているような、最後にふさわしいものの気がする。

自分がいつまで生きるかは誰もわからない。明日、いや、あと1分後にだって死んでいるかもしれない。 もし、1年後だったとしても、その死の時を知ることができたら、それを受け止め死にたいと思った。

2009年12月10日木曜日

GPUはアートか、科学か

you tubeでこんなん見つけた。



たぶん1年前にやったやつ。とても印象的なのが、GPUは科学から始まったんではなく、アートから始まったという説明。アートをするには、自由に使うパレットがいるからプログラマブルになったんだと。何百年前の昔の世の中ならいざ知らず、この現代で、そんな理由で科学技術に至るものなんてあんまりないような気がする。

実際にはGPUの実行効率が思うように上がらないとか、電力を喰いすぎるとかいろいろ問題はあったとしても、やはり、こういう面白いGPUの転用を解として見出して、こんなにも短期間にハードと開発環境をそろえて、世界中に使えるように提供したのは、賞賛されてしかるべきかもしれない。もし自分でこんな仕事を体験したら、間違いなく大興奮しているだろうな。

ああ、自分も含め、世界中が騙されているだけなのか、真の革新と言えるのか。でも、確実にGPUの進行はつづいている。

2009年12月5日土曜日

マルチコアの曲がり角?

安藤さんのサイトを見てたら 、まさかまさかのニュース。

コンシューマ向けのLarrabeeキャンセル。

パットが急にIntelから他の会社に移るってことがあってから、まさかとは思ってたけど、マジか!!!
ついでにすでによく出ているが、CellのHPC向けも終了というニュースも。Cellも、Larrabeeも終わった。

もう残っているのは、実質、NvidiaのFermiしかない。ひとり勝ちのようにも見えるけど、果たしてそうなのだろうか。早くも、GPU、CPU統合の荒波が起き始めたと見るべきなのか。

Epicはどうすろの?次世代ゲーム機は?

ここらへんですべてが一回0に戻り、次の新しい世界がやってくるのかな。CPU、GPU統合とか、TSVメモリとか。マルチコアの将来はまだ見えてこない。

2009年12月4日金曜日

H.M.氏の脳スライシングライブ

ちらほらスラドをみていたら、H.M.氏の脳のスライス作成をライブでやっているとニュース!

HM氏といえば、教科書にもよくでてくる、超有名な被験者。もはや憧れすら感じる。昨年亡くなったそうです。その人の脳をスライスしているところをライブで放映するとは、いろんな意味ですごい!

今はちょうど海馬の領域のよう!

追記:
どうやら終わったよう。おつかれ~。

おかざきふ

google 日本語入力を入れてみて、今試してみた。
ちょっと変換にラグがある。いらつく。ちょっと実用的速度じゃない。辞書作って
いる始めだからか?もしくは、使っているノートが古いのが原因かもしれない
が、そうだとネットブックきついかな?


なんか変換の語彙がすごいらしいので、いろいろ変換をしてみる。ちなみに、
この文章も使って書いてます。


"おかざきふ"までいれると、岡崎フラグメントが見事に出てくる。これはすごい!
”えだじ”だと、江田島平八がでてくる。すごい!
”せいじょうさ”で、星状細胞でる!
”ふどうしょ”で、浮動小数点数がでる!
"おーやん”で、オーヤンフィーフィー!
”そうしょくけ”で草食系男子!
”まじかるた”でまじかるタルるートくん!


すごーい。なんか使っているうちに、変換速度も早くなってきた気がするな。


ブラウザもChrome使って、文字変換もgoogleだと、そろそろOSも変わっても
いいんじゃないかという気になってくるな。

追記:
"すぱこん"といれたら、スパコン世界一不要とでた…。どっから語彙を学習して
きたんだよ、おい。

2009年11月30日月曜日

女流漫画な日

本屋に行って、のだめの最終巻と江古田ちゃんの最新刊を買った。
めずらしく女流漫画家ばっか。

のだめが最後に先輩のもとを去っていく、バッドエンド気味な終わり方かもと思ってたんだけど、そうはならなかった。なんか、もう読んでて泣きそうw やっぱ、女の人って、なんか物語のレベルが高いな。いろいろ登場人物のやりとりの描写が高度?で、一回読んだんじゃわからないようなところがある。もう一回、1巻から順番に読みたいな。あーでも、こりゃいい漫画だった。10本指に入るな。

江古田ちゃんは、意外と読むのにガッツがいるのでまだ半分も読んでないが、相変わらず面白い。読んでて理解不能なのがたまにある。ある種表現の限界に挑んでいるな。作者の年の女特有の世界だから、理解しにくい部分もあるような。それにしても、全裸率や陰毛率が高いなw

2009年11月26日木曜日

ばかなの?死ぬの?

知的クラスタという事業がある。自分はちょっと関わっていた(?)ことがあり、結構、本格的にいろいろやってんなと思っていた。最近はもう離れていたが、なんと知的クラスタは事業仕分けで"廃止"とでたらしい。産官学連携も廃止らしい。

えーーーーーーー!?

結構、企業やら大学やらが集積してやっていて、大掛かりでやっていたのに、いきなり来年には吹き飛ぶわけ?遊びじゃなくて、自動車の超有名どころも来てたけど吹き飛ぶわけ?これは、ひどいことになるんじゃまいか?

しかも、知的クラスタって地方の事業でしょう。疲弊した地方で、唯一研究オアシスみたいなところだったのを、潰すとは…。知ってる人も働いているけど、一体どうするんだろ…。

身の回りでも、今回の事業仕分けで被害を食らっている人がものすごいいる。 一杯グラント取ってて、減額になりそうな人がいる。業績的に今年こそ取るだろうと思ってたら、応募できなかった人もいる。優秀な人に限って、この仕打ち。こういう人達は厚遇しないとでていっちゃうよ、本当。

なんか、よく知らんが、報ステによると、東北の有機ELのプロジェクトも潰すらしい。 もう、ばかなの?めちゃくちゃじゃない?スパコンだけどうこういってる場合じゃなくなってきたぞ。まだまだ、知らないのにそれ切っちゃうの?っていう、馬鹿みたいな事例が多分鬼のようにあるぞ、これ。

そんな、そこまでひどい無駄遣いが発覚したとかではない、比較的普通な、幅広いプロジェクトに対して、いきなり、今年度あと半年しかない状況でいきなり廃止って、ばかなの?
どれだけの人が雇用関係にあるかとか考えたら、景気に対してもすごい悪影響出るのわかるだろう。こんないきなりなむちゃくちゃ、裁判で訴えれないだろうか?

国でやるってなかば決めている話なんだから、普通、最低でも1年前くらいに廃止検討してますとか、アナウンスして周知徹底して、異論反論を引き受け、その上で雇い人の次の雇用の世話ぐらいして、それからだろ、廃止なんていっていいのは。まだ、自分のみに危険が迫っているのを知らない人とか結構いるぞ、きっと。

そりゃ、馬鹿みたいな事業ってのも世の中いっぱいあるんだろうけど、普通の事業をこんな、気が狂ったように切りまくるとは…。

総理大臣も汚職が深刻なようだし、一体どうなるんだろ。それとも、これから、日本の身の丈にあった社会になっていく必然の流れなのだろうか…???いや、違う、絶対違う。

2009年11月21日土曜日

ひきこもごも

今週は、次世代スパコンで騒がしかったが、一方他にも結構なニュースが。

まず、長崎大の浜田さんがGPUのスパコンでゴードンベル賞を取ったらしい!すごーい。
http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20091120AT1D2007C20112009.html

日本、いや世界のGPUコンピューティングの星です。(天体計算だからって、だれがうまいこといえry)。日本の大型スパコン凍結の一方、地方大学の人が世界の最高峰の賞を取るというのは、なんか皮肉というか、今後の日本のスパコンにも強い影響を与えること必死!

次世代スパコンにも続報。スパコン見送りで大ブーイング、スパコン見送り再考なんてのがきました!
http://www.asahi.com/digital/bcnnews/BCN200911200010.html
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2009112000391
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20091120-OYT1T00381.htm
意見が割れるというのは、ある意味思考のプロセスが働いているということだから、まあよかったよね。いろいろ中身を改善すべきところはあるかもしれないが、大枠でどうすべきかはもう、賢い国民は皆わかっているのだから、そうならざる終えないよね。民主主義ですから。

その一方で、ちょっと悲しいニュース。Cell は、XCell8iで終了
http://www.osnews.com/story/22518/IBM_Halts_Future_Cell_Development
最近、32コア版のロードマップの話が全然でてこなかったから、駄目かと思っていたらやっぱ駄目でした。あーあ。PS4どうすんでしょう。これは、Larrabeeの将来にもつながる話だろうか。でも、IBM的には部分的にCPUに統合していくというので資産を活かしていくという思想はあるみたいだな。GPUとCPU統合に近い方向のIBM版。

2009年11月19日木曜日

雨降って地は固まるだろう

スパコンの凍結は、削減対象としてある意味シンボル的に取り扱われたような感があったが、逆に削減が妥当であったか見直すべきもののシンボルとして扱われつつあるような感じ。まあ、どうなるかわからないけど。

でも、ふと思い返すと、今回のスパコンの議論は、ハードの問題とともに、シミュレーションの存在の立ち位置見たいなのをよく映し出しているような気がして、よくよく考える機会としては良かったのかもしれないと思う。

シミュレーションていうのは、簡単に言えば、物事の大事な本質を抜き出して再現することだ。それで現実には難しかったり、不可能な状況を作り出して、どうなるかな?って試すことだ。例えば、飛行機の形を決めるときに、どんな形が飛ぶのに効率がいいのかなっていうことを試す。普通にやったら、実際に何回も飛行機を作って試すところを、シミュレーションだったら実際に作らないで、行く通りもいろんな形を仮想的に作って、何回でも飛ばして、試せる。最近は飛行機のほか、自動車とか新幹線の設計にそういうのを利用しているそうだ。

そういうのって、一体いくら儲かるのかとか、何が発見できるのかとか、まあなんとかして定量化とか説明はできるけど、あまり直感的じゃない気がする。やっぱり実際のものを扱った研究のほうが説得力とかわかりやすさはあるような気がする。だから、シミュレーションがわかりにくいのは、しょうがないのだ。シミュレーションとはそもそもそういう、いまいち直感的なものではない。あくまで、まねたもので、仮想的に試しているだけだから。それにシミュレーションは、はじめに、現実のものから得たデータは必要だし、シミュレーションの結果は、実際に現実の世界で試して見ないと確かめられない、リアルなデータに寄生するもろい存在でもある。それでも、シミュレーションが必要とされるのは、現実世界の広大な可能性の探索が途方もなさすぎて、その解決の活路が見出されそうだからだ。

もうひとつ今回の議論で、あらためて気づいたのが一般の人のスパコンに対する、いや、もっといえばや科学、研究というものに対する印象だ。恐らく、一般の人は研究が博打であるということをあまり知らない。一般の人にとって、科学や研究というのは実直で真面目で堅実なものという印象なのではないだろうか。自分だって、この世界に来る前には、そう思っていたと思う。でも、実際には全然違うもので、博打のようにあたればいいけど、失敗したら大変なものだという、やくざな商売で、当初、少し唖然としたことを覚えている。それから、自分の科学とか教授に対する見方ががらっと変わった。科学の分野にいると、いつしかそんなことは当たり前になって気にも留めなくなるが、恐らく一般の人は、そういうものだということを知らない人がほとんどだろう。事業仕分けのような議論には、いろんな人の立場の違いから生じる認識の違い、乖離が大きく反映されていると思う。事業側の説明する人ががそういう立場の違いを把握できなかったとか、仕分け側の説明を受けるほうが理解できなかったとか、双方で批判はあるけど、たぶん、しょうがないことなんだと思う。今まで、こういうのを公にみんなで議論しようなんて機会がなくて、はじめて、恥も外聞もなく意見をぶつけ合って、今回は問題が起きているんだと思う。きっと、説明する側も追及する側も、次はお互いもっとうまくできるようになるだろうと思う。それこそ、あるべき姿なのだろう。

今回の議論では、スパコンを含め、具体的に成果が得られて意味があるのかを厳しく問われたと思う。でも、科学というのは、上でも言ったように、これがこうなったらこういうことがわかって、次はこうなって見たいなことが始めから決まっていたり、わかっていることはほとんどない。逆にわかっていて、それがこれに必ず使えて、何年後にこれだけ儲かりますって言うのがわかっていれば、企業がとっくの昔にやっているはずなのだ。半導体のプロセスルールの微細化はある種そういうもので、技術の発達を進めるのは企業だ。

じゃあ、利益が出ない研究を国がやる必要があるのかっていう話になる。でも、何でもかんでも即座に利益がでるように進むはずはなくて、数年で利益につながるものもあれば、20年、30年後に利益が出るようになるものもある。企業だと20、30年研究する前につぶれてしまって、利益に結びつかないけど、もし20、30年研究できて完成すれば、ものすごい利益がでてきそうなんてのが、おぼろげに見えていたとする。そういうのを企業が手を出せないので放置しておくというのは、非常にもったいないなあ、もうちょっと長いスパンの大きな組織でやれるなら是非やって、利益を享受したいなあと思ってやるのが国の研究だ。

また、国の研究なら、市場での利益だけじゃなくて、人類にとって意味のあると考えられるものの探求、人間とは何か、この世は何か、ということを追求して、国民に還元することも、目的とすることができる。例えば、税金納めたうちの1%くらいなら、自分はどこからきて、この世はどういうもので、これからどうなるのかということに国がお金を使ってもいいと、皆思うんじゃないかな?まあ、90%使われたら怒ると思うけどさw サッカーが好きでお金を払って見に行ったり、音楽が好きでお金を払って聞きに行ったり、小説が好きで本を買って読んだり、歴史が好きで史跡を旅行で回ったり、そういうことと同等に、科学でこの世について探求した結果をみんなに還元して知ってもらうことは、なかなかお金には換算しにくいけど、みんな興味があって、そういうことがちょっとは必要だということは納得できるんじゃないかな?

 などなど、あまり全体としてまとまらないけども、研究者も、一般社会の人も、お互いに良く知って、そもそもお互い何のためにやっているのか、どうやって国は研究をなりたたせているのかを知るのはいいことだなと思った。

政権交代で、いろいろ壊れて、混乱は起きるだろうとは思ったが、やはりそもそものところから見直すことが必要なのだ。そういう注目を受けることは、きっとスパコンとかシミュレーションの産業にとって、実は非常にプラスだということにはっと気づいた。