2010年5月5日水曜日

絵画という内部表象の記録

昔、自分の青い時代に、ピカソの絵と発言が並べて書いてある本を買って読んだことがある。あの本まだどっかにあるだろうな。今も当時も、全然、芸術とかわかってないんだけど。

絵のことはわかるような、わからないような感じだったんだけど、ピカソの言葉には今でもよく覚えている印象的なものがいくつかあった。そのひとつに、あいまいにしか覚えていないが、

”いつか、私の絵を科学者(脳科学か、心理学者だったか?)がみて感謝するときがくるだろう”

みたいなことがあった(はず)。ピカソは脳内の表象的なものを出力しているにすぎないみたいなことを確か言っていて、当時、(ピカソの)絵って、そういうもんなんだなあと、すこし納得したような気がした。でも、まあ、科学者がピカソに感謝なんかすることにはならねえだろうと思っていた。

と、最近、ミラーニューロンの本を読んでいて、アフォーダンスのことを考えていたら、たまたまピカソのことを思い出して、ピカソの絵画に描かれている、ゆがんだり、デフォルメされたりしてる、非現実的な描写は、ある種、アフォーダンスのようなものを、ピカソなりに描いていることなんだなとふと思い至った。きっと彼は、現実世界の描画する対象に対して、彼の脳が持ついろいろなアフォーダンスを、彼なりのルールで表現したのではないだろうか。彼は、ひょっとすると、かなりそういう脳の中の情報表現、アフォーダンスを直接見る能力をもっていたのかもしれない。

それにしても、昔はまさか自分が神経科学関連に進むとは思っておらず、こういう形で、ピカソの言葉を実感する日が来るとは想像だにしなかったなあ。

アフォーダンスという概念は、普通の人にとって、多分なんかまったく理解しがたいという感じはなく、誰でも脳内に持っていて、普段無意識に使っているから、考えてみればわからなくもないというものだろう。でも、それを、科学を知らない、芸術家が自分の内なる世界を観察して、考察することで、独自に見いだして、自らの方法で表現したというのは、偉い。ピカソはやはり偉大だ。

ピカソの絵を研究対象とするまでの境地に、まだ自分は到達していないが、それどもちょっと、なにか納得したので、感謝したい気持ちだ。世の中、なにがどうつながるかわからなくて、面白いな。

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