2011年3月5日土曜日

青い空、そよぐ風

そこまでマニアではないけど、攻殻機動隊は結構好きで、昔、大体一通りみた。

近未来に実現しそうな社会を前提に話が進むので、それを想像したり、受け入れられないとなかなか理解するのが大変。それでその社会で起きる問題が結構複雑。話を理解するのがやっとで、予想外の展開にひっぱりまわされ、非常に楽しかったなあ。

しかし、"イノセンス"で、ちょっと理屈っぽくなりすぎて、なんかちょっと残念な感じがした。

それで、この前、たまたまスカイクロラを見る機会があった。イノセンスのせいで全然期待していなかったんだけど、これはすばらしかった。

話の説明があんまりなくて、少しずつ事実が分かっていって、え、じゃあ、そういうことなの?っていうのが、結構、衝撃的で、SF的な要素もからんで、絶妙だった。

物語の設定では、登場人物たちの世界は、とても幸福な状況とは言えないんだけど、それでもそれが日常で、その世界を人々はたんたんと生きている。希望があるわけではないけど、絶望に満ちているわけでもない。

話が進むにつれて、だんだん、悲しい過去があきらかになっていって、もうどうしようもなくない感じになるけど、そんななかで主人公は最後にとてもやさしさを見せる。

主人公は、その後に戦死してしまうようで、ある種バッドエンドなんだろうけど、なぜか、すがすがしいとまでいわないけど、なにか余韻が残る。せつなくも美しいとはまさに言いえていると思う。青空の描写が非常に印象に残った。

なんとなくあいまいな話のようにも思えるが、そうではなく、いろんな世界の現実を見事に表現していると思った。世界の現実の中で、生きる人々の感覚、狂気、やさしさ、女、男。

ナウシカの最終巻を直前に読んでいたせいか、なにか似たような感覚がある気がした。絶望のなかで見つける希望、生きるという感覚かな?

2011年2月19日土曜日

80TFLOPSvs 人間

そうか、クイズで人間の脳に勝つなら、80TFLOPSで十分なんだな。

http://www.youtube.com/user/ibm#p/u/6/lI-M7O_bRNg

Watsonのシステムは、ピーク性能は、旧地球シミュレータの2倍程度で、Power7使っているらしい。eDRAMも大活躍だな。演算性能もすごいけど、データベースの技術がもっとすごいのかな?

3日間のJeopardyのチャレンジだが、引き分けからはじまり、中盤で力を見せつけ、最後に見せ場まであって、 ちょっと話ができすぎてる気もする。
こりゃあ、宣伝効果としては凄まじいな。大金持ちがこぞって、余興用に買うんじゃないか。

今回のJeopardyでの勝利はすごいのか、すごくないのか。 個人的には、はじめに、すごい衝撃を受けた。ついにこういう時代が来たのかと。でも、googleで検索したようなことをまとめてるだけじゃんとか、今はこんなの結構できるよとか言う人がいて、まあそういう面もあるかなとも少し思う。検索エンジンに人間が勝てるわけないんだから、そんなので競わせるのはちょっとずるいというか、勝てなくてあたりまえじゃん?っていう感覚かな。

まあ、でも、確かに、人間の知性が機械の処理に負けたわけですよ。なんとも同じ人類として、複雑な気持ちは少ししたけど、むしろ、それよりも、Watsonにシンパシーを感じたかな。きっと、人間の脳の処理も、なにかしら、Watsonと同じような処理を行っているんだろうなという漠然とした共感があった。全然異質のことをやっている別種ではなく、同じことを目指して似てきているんだろうなという感じ。結局、どちらも、入力の情報に対して、並列の投機実行みたいなことをしているというのが、非常に大雑把な理解。Power7のクラスタで機械学習のアルゴリズムをいくつも並列に実行してて、脳もアルゴリズムは違っても、無数の並列の処理をやってて、confidence の比較で最終のアウトプットを出しているんだろう。

これから、この手の話やサービスが、驚くように出てくると思う。今回、自然言語処理ができるー!って見せつけてくれたわけだけど、これは画像処理ともすぐ結びつくだろう。そのコンビネーションも、また、人類、社会にすごいインパクトを与えるのは必至だ。さらに、五感を処理できるようになって、ロボットの運動制御なんかとも結びついて、ネットの情報も使うようになって、そこまでいったら、クイズどころの騒ぎじゃなくなるな。そのうち、人間にない感覚すら情報源にして…。

ちょっと前まで、遠い世界のことのようなことだけど、今回、80TFLOPSできちゃったわけで、もっとすごいことも、今のペタフロップス級のスパコンでできるよな。もう、いち早く、安く、面白く、誰が先にやるかの問題になってきてるのかもしれない。5年以内、10年以内に大変なことになりそうだ。怖いし楽しみ~。

2011年2月9日水曜日

すっかり

すっかり、更新していなかったら、世の中、ずいぶん激変してしまった。
ARM、android、他いろいろいろいろ。
一年も経ってないのに、世界の変化が速すぎる。

なんか、いろいろばーっとはじまってしまって、新しい場が出来上がってしまった気がする。並列性能が高いのがいろいろあるのはいいから、どう使うかで見せてって感じにったかな?



これから、テキストじゃなくて、もっと映像と音声を使うようになって、処理の内容、入力ハードウェア、機器のスタイルや構成がもう一段変わるだろう。

そうやって、たぶん、根本的に変化するときっていうのが、近い将来にある。ひょっとすると、今の変化ですら、まだその前触れでしかないくらいの大きな変化が。

そんな変化が起きるなら、世界が変わり、ルールが変わる。そんな時は、従来価値があると思っているものが陳腐化し、無駄だと思っているものが必須のものになったりする。

そのときは、googleが無価値になることだって、全然あり得るんだろう。


でも、その先がわからないんだよなあ。

2010年5月9日日曜日

Googleの先にあるものの妄想

you tubeを適当に見ていたらGoogleの音声検索の動画があった。



前からGoogleの音声検索の存在は、噂程度で知ってたけど、あらためてびっくり。やはり、どうやってるのかが気になったのでググってみると、音声をサーバー側で処理しているそうだ。やっぱりGoogleだからユーザーが使った音声データをどんどんためて、どんどん性能が良くなるみたいなことをしてるんだろう。確率的な処理らしいから、ベイズなのかな。

まえに、これからの時代、HPCの個人利用が現実化してくるんじゃないかと、うだうだいっていたが、これなんかまさにそうだ。もうすでに実現していたっちゅうことだ。

この音声検索を実行するには、端末の計算性能は全然いらない。必要なのはGoogleの持っているサーバーの計算能力とアルゴリズムとサンプルの データの蓄積だ。あとは、ユーザーが貧弱なモバイル機を持っていればよい。

それにしても、これはもうある種の脳が、Googleのサーバーで作られているようなもんだ。従来の単なる情報処理とは呼べないような、関係付けられた 膨大なデータから認識を行うという意味で、ある種、脳型だ。
 
そういえば、話はとぶが、この前Googleのハードやソフトに関するweb記事をみてちょっと面白かった。Googleは、コモディティーサーバーを膨大な数つなげて、検索に必要な処理を行っているらしい。これは、コモディティー化の恩恵を活用しているという点では、今のHPCの主流のクラスタと似ている。自分は気づいていなかったが、実はGoogleは、コモディティー化を活用して成りあがった企業なのだ。

しかし、Googleのサーバーと、普通のHPCコモディティークラスターとちょっと違う点は、故障対策についての考え方で、基本的に壊れてもいいように、安いハードで冗長性を持たせることで、実現してるそうだ。それをスケールアウトっていってたかな。個々のサーバーがそれぞれ情報を冗長化する。それで大規模並列で実行する。

これは、脳の情報処理と非常に似ているところがある。神経細胞ひとつが単一の情報を表現するんじゃなくて、神経細胞集団が冗長にひとつの情報をコードしているといわれている。神経細胞は毎日、結構な数が死んでいるが、それでもあまり困らないのは冗長性があるからだろう。それで、やはり大規模並列で処理を実行している。

別にGoogleが脳にヒントを得て、スケールアウトの方法に行きついたわけではないだろうが、Googleも脳も、ある種の認識処理を目指した結果、似たような構造や仕組みに行きつくいているようで、なんとも面白い。

Googleを見て、先の将来どのようなことが起きるかを考えるのは意味があるだろうし面白そうだ。

今ですら、Googleにあるサーバーに対して、世界のどの人間も検索能力では勝てない。人間を超えた知性に似たものが、もう毎日無くてはならないものとして働いているのだ。この"知性"は、これからまだまだ拡大するだろう。音声認識、言語認識、画像認識、動画認識、もう、本当、脳みたいだな。すでにあるかもしれないが、脳にはない感覚に関する領野(=サーバー群)や高次情報処理領野ができていくだろう。

そうすると、ますます、Googleのサーバー群でしか処理できない情報というのがでてくるに違いない。一体どこまでその進化が続くのか想像できないが、計算機の進化、ネットの成長はまだ10年は最低続くだろうし、この手の認識系のサービスはまだはじまったばかりで、当面は進化は続くだろう。とりあえず、あと10年後には100倍の計算リソースを使って、より高度な認識か、もっと進んだなにかをやっているはずだ。

認識系が発展してなにができるのか、具体的にわからないが、たぶんできてしまえば使い道はいくらでもある。認識のサービスは、知的労働をやってくれるようなもんなんだから。ロボットは認識系の、恐らく最も有望な適用方面だが、そのロボット産業がこれから発展するのは間違いないから、その需要も莫大にある。


今は、Googleのような認識に近い情報処理を行う、巨大な脳型処理機構(といっていいか知らないけど)は、ほぼ一つしかない。そういう企業が、今後もGoogleしかないんじゃあ、いろいろ問題だ。多分、そうはならなくて、Googleに対抗する異なる巨大な情報処理機構を形成する組織が作られていくはずだ。そして、それら情報処理機構間での相互作用、競争、戦争が問題になってくんじゃなかろうか。

そうするとより優れた認識処理を実行するということが、一つの価値基準になっていくだろう。そういう未来が来たら、きっと真の脳型情報処理が必要とされるのじゃないかと思う。

いつそんな未来が現れるのか。もちろん、永遠に来ねえよってことはあるけどもさあ。でも、あと10年でひょっとしてとは思うな。5年じゃ無理だな。5年後には、モバイルとクラウドの波が最高潮に達しているくらいだろうか。そうした状況に乗じて、新しいサービス企業が出始めるだろう。そこらへんで、Googleに対抗できる組織がでてくると面白いことになりそうだ。

はーい、妄想おつ

2010年5月5日水曜日

絵画という内部表象の記録

昔、自分の青い時代に、ピカソの絵と発言が並べて書いてある本を買って読んだことがある。あの本まだどっかにあるだろうな。今も当時も、全然、芸術とかわかってないんだけど。

絵のことはわかるような、わからないような感じだったんだけど、ピカソの言葉には今でもよく覚えている印象的なものがいくつかあった。そのひとつに、あいまいにしか覚えていないが、

”いつか、私の絵を科学者(脳科学か、心理学者だったか?)がみて感謝するときがくるだろう”

みたいなことがあった(はず)。ピカソは脳内の表象的なものを出力しているにすぎないみたいなことを確か言っていて、当時、(ピカソの)絵って、そういうもんなんだなあと、すこし納得したような気がした。でも、まあ、科学者がピカソに感謝なんかすることにはならねえだろうと思っていた。

と、最近、ミラーニューロンの本を読んでいて、アフォーダンスのことを考えていたら、たまたまピカソのことを思い出して、ピカソの絵画に描かれている、ゆがんだり、デフォルメされたりしてる、非現実的な描写は、ある種、アフォーダンスのようなものを、ピカソなりに描いていることなんだなとふと思い至った。きっと彼は、現実世界の描画する対象に対して、彼の脳が持ついろいろなアフォーダンスを、彼なりのルールで表現したのではないだろうか。彼は、ひょっとすると、かなりそういう脳の中の情報表現、アフォーダンスを直接見る能力をもっていたのかもしれない。

それにしても、昔はまさか自分が神経科学関連に進むとは思っておらず、こういう形で、ピカソの言葉を実感する日が来るとは想像だにしなかったなあ。

アフォーダンスという概念は、普通の人にとって、多分なんかまったく理解しがたいという感じはなく、誰でも脳内に持っていて、普段無意識に使っているから、考えてみればわからなくもないというものだろう。でも、それを、科学を知らない、芸術家が自分の内なる世界を観察して、考察することで、独自に見いだして、自らの方法で表現したというのは、偉い。ピカソはやはり偉大だ。

ピカソの絵を研究対象とするまでの境地に、まだ自分は到達していないが、それどもちょっと、なにか納得したので、感謝したい気持ちだ。世の中、なにがどうつながるかわからなくて、面白いな。

2010年4月3日土曜日

GTX480/470登場

数日前、GTX480/470の正式発表があって、ベンチマーク結果なんかも出始めている。
GTX480は、ゲームの性能に関しては、概ね、AMDの1GPUよりいいみたい。

なんか、でも、気づけばAMDのGPUって2.72FLOPS(SP)で、Nvidiaの倍以上あるんだよな。いくら、ピーク性能にすぎないっていっても、倍以上違うのに、ゲームの性能では逆転するもんなんだな。

だとすると、なにが効いているんだろう?3Dの描画のことはよく知らないからなあ…。3Dグラフィクス表示のための特有の固定機能の違いなのか、それとも、汎用的な作りが実行性能を高めるなんてことが起きているのか?キャッシュって効いている?なにがボトルネックになっているかわからないから、なんともいえないか。すくなくとも、ゲームに関する実行性能は、Fermiのほうがよいと。

でも、AMDのGPUでも、うまくはまっちゃう計算って、GPGPUならありそう。

ゲームユーザーは、きっとGPGPU性能なんか望んでいない。今のところなんの足しにもなっていないから。 ゲーム内の物理演算には必要なんてことはあるんだろうけど、まだそこまではやってないみたいだし。最近はAMDのほうが旗色が良いのは、そういうことなんだろう。

一方、GPGPUユーザーは、どう思っているんだろう?確かに倍精度性能とか、ECC対応なんかは、非常に望ましいんだけど、単精度でこれほどの性能差で、いろいろ消費電力とか無理があって、どう思っているんだろう?

個人的には、数倍のハード性能よりも、やっぱりGPGPUのプログラムの開発環境やサポート具合がしっかりしていることが重要だから、やっぱりまだNvidiaというか、CUDAだな。だけど、もし、OpenCLが、どのGPUでも簡単に動いて、簡単に比較できるようになって、AMDのほうが倍以上性能が出て、消費電力も小さいとなったら、もう、わかんないな。とりあえず、1年くらいは様子見かな。

さてさて、GPUの汎用化が吉と出るか凶と出るか、じっくりとみさせていただきますよ~。

2010年3月7日日曜日

ナルト

ナルトが好きだというのはちょっと恥ずかしいってばよ。でも、毎週見ている。

何が面白いかというと、なんか絵がカッコよくて、忍びの技がカッコイイのだ。うーん、小学生と変わらないなw

でも、それだけじゃなくて、もっとこの作品で重要なことがある。それは、復讐にどう立ち向かえばいいのかということを、テーマとして真正面から取り組んでいるのだ。


ナルトの世界では、忍び同士の殺しあいがあり、いろいろ遺恨が残り、それで復讐が連鎖する。ナルトの友達のサスケも復讐に取りつかれて、人生を踏み外している。

ナルトは、自分と境遇の似たサスケを思い、どうすればいいのか、苦悩する。そして、復讐者の気持ちをなんとか理解しようとして、その連鎖を止めようとがんばる。

まだ、物語でナルトが一体どういう答えに行き着くかは語られていない。問題が難しすぎるため、作者が最後に納得できる答えを描けるか心配だが、同時にとても期待もしている。

この作品は、全世界で子供たちに非常に人気がある。復讐の歴史を現実にもっている民族の子供も読んでいるかもしれない。

もし、復讐する側、される側の人間が、この漫画を子供のころにでも読んでいたら、きっとなにかが変わるんじゃないかと思う。もちろん、現実はそんなに生易しくないし、現実に問題を抱えている人間にとっては、この漫画はきれいごと過ぎるように感じるかもしれない。

それでも、本気で復讐という難しい問題に正面から立ち向かっているということが、この漫画から気迫として伝わってくるような気がして、それはひょっとしたら子供の気持にも伝わるんじゃないかと、とても期待している。

戦争放棄を行った国が、漫画で世界に強い影響力を与えられるところにいて、こういうテーマを世界の子供に語りかけているということは、日本ならではの最高のアイデンティティーを発揮しているといえるんじゃないかと、なんとなくぼんやりと本気で思っている。