2008年4月5日土曜日

意識

神経細胞のシミュレーションをやってるのは、それで少しでも自分のこと、意識のことに近づけるだろうという思いがあるからだ。しかし、一般的に、脳のしくみがわかっても、意識というのは次元が異なる話であって、結局わからないんじゃないかという見方があるように思う。

自分は、意識はわからないはいいきれないじゃないか、やってみたら意外とできるってことは、よくある話だと、楽観的に考えている。ただ、脳のことがわかったからといって、意識がわかるということにはならないというのは、同じ思いだ。自分が思うのは、脳のことがわかれば、意識を明らかにする糸口となるんじゃないかということだ。

脳は、神経細胞一つ一つの活動が集まって、結果として情報処理を行っている。一つ一つの神経細胞はあくまで、一つ一つで勝手に役目を果たしているだけで、一つの神経細胞は全体を把握しているわけではない。しかし、人の意識というのは、連続した情報や複数の感覚をまとめて感じることができるもので、不連続な、個々の神経細胞がそれを担っているというのは、どうも考えにくい。だから、意識のような働きを可能にするなにかしらの仕組みは、神経回路網とは別にあるのかもしれないと思う。

意識は、神経細胞の活動のただの影のようなもので、情報処理してるかはわからないという考え方もある。自分は、意識の働きは、情報処理に使われていると信じている。なぜなら、意識があると自分自身は自覚していて、それを物理的に表現できるからだ。もしただの影だったならば、情報処理に影響することはなく、意識に関する情報は、物理的に表現することができない。このことから、意識は神経細胞の活動に影響を与えているとことがわかる。こういいきってしまうのは、ちょっと大それていて怖いが、そう考えざるを得ない。人間が外部に表現するには神経細胞の活動がなくしてはあり得ないはずだからだ。

この考えは、あくまで自身にとってしか、有効ではない。他人が意識を持つことを表現することは、本当に意識によるということは、確認できないからだ。

もし、上記の考えの通り、意識と神経回路網が何らかの情報処理のためのやりとりをしているとすれば、神経回路網だけ完璧に使ったとしても、ちゃんと動作しないことになる。そのとき、意識への糸口が見えてくるんではないだろうか。

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