今日は、GPUの行く末についての妄想をしよう。
GPUのアーキテクチャの変化や、淘汰は、当たり前だが、結局、市場原理にゆだねられる。
現在、その市場というのは、大きくはゲーム用途向けの市場であり、これが1年、2年で、他の用途に激変することはないだろう。
だから、少なくとも数年は、ゲーム向用途をターゲットととして、進化せざる終えないだろう。
最近のゲーム分野の先端の話を聞くと、次のトレンドはよりプログラマブルなGPU、より一層汎用化されたGPUが望まれているみたいだ。でも、それはあくまでも先端のゲームエンジンを作るところの話で、それがどこまで一般的に広まっていくかはわからない。
結局、このトレンドがひろまるのかどうかと、ひろまるとしたらいつなのかが、次のGPUのアーキテクチャの命運を決めていくんじゃないだろうか。
じゃあ、果たして、そのトレンドが広まるんだろうか?そのトレンド変化があまりにも飛躍したものだと、開発者側がみんなついていけなくて、なかなか移行は進みにくい。
そのトレンドの変化というのは、ある部分ではすでに体験している開発者がいるんじゃないだろうかと思う。それは、PS3のCellのSPEで、GPUの肩代わりをさせているような使い方をしている人たちだ。Cellでやるのはいろいろ面倒くささがあるが、ある部分は自分で好きにできる汎用性も享受しているはずである。
PS3でCellを使ったからといって、直接、開発者が汎用化されたGPUアーキテクチャに対応できるようになるわけではないが、"ああ、SPEでやったことはあるわ"見たいなことがあれば、少なくとも新しいことをやるということに対しての心理的障壁はかなりさがるんじゃないだろうか。
だから、まわりまわって考えると、PS3がこれから十分に売れて、市場も拡大し、PS3のSPEで、プログラマブルなGPU的なものを扱う経験をする開発者が増えることが、近い将来の、汎用的なGPUの受け入れをしやすくすることになるんじゃないだろうか。
はーい、大分、妄想に妄想が重なってきました。
じゃあ、PS3はこれから売れて、市場シェア一位を奪還することができるだろうかということが、結構重要になってくるじゃないだろうか。そういう市場動向という意味で、やっぱり、結局は消費者の選択が未来の決定に関わってくるというわけだ。
現在、かなりPS3は売れ始めているようで、年末はキラーソフトのFF13も出る。素人目にも、なんかいろいろやってみたいようなゲームがでてきて、値ごろ感もかなり感じる。来年も、グランツーリスモとか、God of Warも出るみたいだし、ある程度までは持ち直しそうな気がする。
じゃあ、結構PS3は大丈夫そうで、ひいては汎用GPU化の流れが後押しされるかなと思う。まあ、もちろん、それだけでGPUの汎用化が決まるわけじゃないとは思うけど、全体の空気を変える、潜在的な効果はあると思う。
ただ、ここまでの話はあくまでも、開発者が次のトレンドに乗っていけるかという話であって、のったとしても、のった結果のアウトプットが消費者に受け入れられないと駄目だ。要するに、汎用GPUによる処理画像を消費者が望むのかということだ。
GPUの汎用化で映像の自由度は増すわけだから、映像のクオリティーとしてはさがることはない。だから、映像の質で消費者が受け入れないことはない。問題はコストだ。ちょっぴりしかきれいにならないのに、値段が10倍では納得できない。基本的に自由度が増せば、どうすべきかの選択や工夫が入る余地があって、手間がかかってコストは増える方向にある。その増えたコストが、妥当かどうかの判断は感覚的なもので、予測するのは難しい。
とにかく、コストを増やさない方法を見出さないと成り立たない。そういう部分はゲームエンジンとかツールが担っている。だから、結局、GPUの汎用化にとって、エンジンやツールなどの環境整備が一番重要なんじゃないんだろう。ソフトウェアレンダリングていってんだから、そりゃそうだ。
もし、そういうゲームエンジンやツールができなかったら?もしくは、数年でなかったら?汎用的GPUは駄目だろうか?たぶん駄目だろう。Cellにしてもそこに苦労していろいろ駄目なところがあるみたいだ。
じゃあ、そういうゲームエンジンやツールを作ることはできるんだろうか?これは、そんなに不可能なことじゃないんだろうか。やればできるもので、あとはどれだけ重要視してお金をかけるか、お金が集まるかということだ。この重要性は、現世代のゲーム機開発者が重々感じているはずで、これからさらに成長していくのは間違いないだろう。
だから、ゲームエンジンの更なる発展が見込めると考え、コストの問題も解決できるんじゃないかなと無理やり結論してしまえば、最終的にGPUの汎用化が進むに違いないということになる。ただ、ゲームエンジンやツールが出てくるタイミングはまだよくわからなくて、その時期にマッチしないような汎用的なGPUは、早すぎて死ぬなんてこともあるんじゃないだろうか。
というのが今日のながーい妄想。
追記:
最近の日記を読み返すと、例のごとく毎日結論に一貫性がない。でも、それはその日の思いを尊重するという方針に基づきよしとしよう。でもちょっと、まとめて考えてみた。
以前、破壊的イノベーションの観点に立つと、GPUの肥大化が行き過ぎてて、モバイル化の流れとともに、CPUとGPUの統合に飲まれるんじゃないかという気がしていた。
それに対して、今回は新しいレベルのグラフィックに移行するための質的進化が必要で、GPUの汎用化はコストを折り合わせてなんとかすすむんじゃないかという結論だ。
前者は、多分中期的展望、後者は短期的展望なんじゃないかと思う。で、汎用GPUで動く一般のアプリケーションが出てくるんじゃないかというのが、長期的展望(願望?)になるだろうか。
この短、中、長期の変遷は、連続性がないとなりたたない。人間が扱っている以上、変化は徐々に起きる。
ここで少しわからないのは、短期と中期が、ちょっと逆の流れになっている気がするところだ。変化は徐々に起きるとか言っておいてなんだが、ひょっとしたら、この短期から中期への変化は劇的におきて、市場に激しい動きがあるのかもしれない。
モバイル市場に席巻されるのか、新しいゲーム機の市場が牽引するのか。
事実として今携帯ゲーム機の市場のほうが、据え置きより大きい。だとしたら、携帯向けに最も主眼をおいた開発になるはずだ。でも、ゲーム機だけの話じゃないしなあ。携帯電話とか、デスクトップ、ノートとかいろいろ含めた上で決まるよなあ。
また、携帯と据え置きって言うのは完全に分離しているものでもなくて、据え置きように開発したものをダウングレードして携帯向けにするっていうのも普通の流れだから、分けて考えるのもどうも違うんだろうか。
う~、わかんねえ、腹減ってきた。これはもう少しゆっくり考えていかないとわからないな。
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