2009年1月26日月曜日

桜井よしこの話を聞いて

桜井よしこの発言を聞いていて、この人は筋が通っていていいなと思った。国家の外交は軍事力がものをいうというようなことを言っていて、この人も軍事力は否定はしないんだなというのを知った。

これはもちろんそうなんだろうけど、それはどうやっても変えられない現実なのかなと、自分はいつも思う。そういう軍事競争を続けていくことが、今の国益にはかなっても、いつか、地球が破滅していくようなことにつながって、結局、だめってことにならないんだろうか。といいつつも、現在のこの現実はどうにもならないとも思う。

有史以来、常に人間にとってあるべき姿を保った国なんてなかったんじゃないだろうか。
人間は常に過ちを犯し、また、悪の部分を持っている。
これからもその人間の素性はかわらないだろう。

だとしたら、そういう人間がつくる国家に、信頼をおいてよいのだろうか。
過ちを犯したら取り返しのつかない大きな力を国家が持つ状態にしてもよいのだろうか。

国家が力を持てば、戦争などで、大勢の人間が不幸になる可能性がある。ならば、国の大勢の人間がそれを支持しなければ、国家の力を弱めることはできるだろう。

しかし、そういう状況で、ある国が強い力を持ったら、弱体化した国は不利になる。

国が力を持つのを止める術は、結局ない。そうなると、結局国は力を持って、対抗するしかない。

結局、力を放棄することはできない。しかし、力は放棄どころか、テクノロジーでどんどん増大していく。

まだ力が小さいうちは、間違えても擦り傷程度で済むが、力が大きくなりすぎたら、取り返しのつかないことになる。そうわかっていても、人間は、国家は、必ずその間違いを犯すだろう。

国が取り返しのつかない過ちを犯すのを、人類の運命として受け入れるしかないのだろうか。

それとも、人間の尊厳を奪うことになろうとも、人間の種としての性質を変えて、たとえばDNAの改変するなどにより闘争する性質を人間から奪うなどの強引な方法をとってでも、生き残ったほうがましだろうか。

それとも、国家に変わる地球規模のシステムが確立して、対立がなくなるという時代がありえるだろうか。一見、とても魅力的に見えるが、地球規模の社会主義であり、腐敗にはあがらえないんじゃないだろうか。それでも、戦争で共倒れよりましっていう考えもあるかもしれない。

でも、現代は昔とは違うんだ、透明性が極めて高いシステムで、民衆の監視の目を常に受けているならば、世界政府もできるんじゃないかというような気も少しする。

しかし、透明性を保つ保障って果たしてできるのだろうか?わからない。

今の国家が、今のままちょっとずつ小競り合いをしながら、やっていくのが、結局、なんとかクライシスを回避しながら、うまく機能していくなんてことなんだ、ってことはあり得るんだろうか。

まあ、なんにせよ、人口爆発や資源の枯渇や食糧問題やで、きっと近い将来立ちいかなくなるということがやってくる。その時には戦争も起きるかもしれない。それを経てこそ、今のシステムの悪いところをどうするかが、痛いほどわかって、それに対処できる方法を地球規模で皆が議論し、実感し、賛同できることになるのかもしれない。逆にそれぐらいのことがないと、今のシステムは繁栄の一途をたどっているから動かせないかもしれない。それが滅びや大破壊へ向かっているとしても。

なんか破壊的イノベーションとか、恐竜みたいだな。

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