2010年3月7日日曜日

ナルト

ナルトが好きだというのはちょっと恥ずかしいってばよ。でも、毎週見ている。

何が面白いかというと、なんか絵がカッコよくて、忍びの技がカッコイイのだ。うーん、小学生と変わらないなw

でも、それだけじゃなくて、もっとこの作品で重要なことがある。それは、復讐にどう立ち向かえばいいのかということを、テーマとして真正面から取り組んでいるのだ。


ナルトの世界では、忍び同士の殺しあいがあり、いろいろ遺恨が残り、それで復讐が連鎖する。ナルトの友達のサスケも復讐に取りつかれて、人生を踏み外している。

ナルトは、自分と境遇の似たサスケを思い、どうすればいいのか、苦悩する。そして、復讐者の気持ちをなんとか理解しようとして、その連鎖を止めようとがんばる。

まだ、物語でナルトが一体どういう答えに行き着くかは語られていない。問題が難しすぎるため、作者が最後に納得できる答えを描けるか心配だが、同時にとても期待もしている。

この作品は、全世界で子供たちに非常に人気がある。復讐の歴史を現実にもっている民族の子供も読んでいるかもしれない。

もし、復讐する側、される側の人間が、この漫画を子供のころにでも読んでいたら、きっとなにかが変わるんじゃないかと思う。もちろん、現実はそんなに生易しくないし、現実に問題を抱えている人間にとっては、この漫画はきれいごと過ぎるように感じるかもしれない。

それでも、本気で復讐という難しい問題に正面から立ち向かっているということが、この漫画から気迫として伝わってくるような気がして、それはひょっとしたら子供の気持にも伝わるんじゃないかと、とても期待している。

戦争放棄を行った国が、漫画で世界に強い影響力を与えられるところにいて、こういうテーマを世界の子供に語りかけているということは、日本ならではの最高のアイデンティティーを発揮しているといえるんじゃないかと、なんとなくぼんやりと本気で思っている。

2010年1月29日金曜日

なんだかよくわからんが、とにかくすごい自信だ!

GPGPU系のあつまりがありましたと。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/20100129_345703.html

そんで、とても印象に残ったのがこのスライド。
http://pc.watch.impress.co.jp/img/pcw/docs/345/703/html/ph10.jpg.html

すげー。開発費がなんという右肩上がり。これは、でもそろそろ抑えないと破綻するんじゃまいか…。破壊的イノベーションの破壊される側のようだ。肥大化したハリウッドとかゲーム産業の末期のようだ。

なんでこんなに強気というか、HPCを信じられるんだろう、社長。これまでいくつもの会社がつぶれてきたのを知ったうえで、俺らは違うんだよ?という のは、なんだかよくわからんがすごい自信だw

ひとつの根拠は、ゲームに乗っかっている限り大丈夫ということなんだろうな。 だから、問題はそのゲームに乗るという方法が、これからどうなっていくかというところか。

結局、こうなってくると、HPCの方向性は、ゲーマーの手にかかっているともいえなくもないのか!

別にゲーマーの人を悪く言うつもりは全然ないが、なんかNvidiaにうまいこと使われているような気が…。まあ、どっちも満足できるwin-win状態だからこそ、市場で生き残れるんだから、余計なおせっかいというものだ> 俺

いつか奇跡が起きて、ゲーム向けの収益をGPGPUの収益が逆転するなんてことはあるんだろうか?ひょっとして、そういう秘策がなんかあるんだろうか?社長に聞いてみたいな。

2010年1月21日木曜日

つれづれ石

最近特にモバイルコンピューティングの話が盛り上がってきて、一方、Fermiがそろそろ出るという話だ。その先の流れはどうなっていくのかなあと、ずっともやもやしてる。

モバイル向けに、CPUとGPUは同一ダイで統合されていかざるをえない。モバイルじゃどうせ、重い計算のあてが当面ないし、GPUは適当につんで置けばよくて、必要な場合はクラウドコンピューティングにやってもらえばいい。どうせネットでつながっているんだから。

そうか、モバイル化がすすむということは、その分重い計算をサーバーにオフロードする機会が増えるということで、結果、クラウド需要が伸びることにつながるのかもしれない。要するに、モバイルコンピューティングと、クラウドコンピューティングの2極化が進むことになるのかもしれない。そうやって、クラウド需要が伸びれば、サーバー用のチップの需要ものびて、そっちでハイエンドGPUの需要が出てくるのかも。だから、デスクトップGPUは、別に死なないのかも。なんか、前に他の誰かがいってたことと同じ結論のような…。まあいいか。

だとすると、ハイエンドGPUの縮小版をモバイルに展開するというのは、開発コスト的に有利でよいのかもしれない。でも、モバイルとサーバーって状況が違うから、それぞれに特化させたほうがいいような気もするな。まあそれはいいとして、それより問題なのは、やっぱりCPUだな。GPUをモバイル、ハイエンドで開発するのにあわせて、CPUまで開発しないといけなくなるのは、本当に大変だろうな。

そうすると、結局、Tegra見たいな、適当な低消費CPUと組み合わせていくっていうのが、モバイルでは正解なのかな。一方、ハイエンドGPUのほうは、とにかくぶっこめるだけぶっこんで、300Wとかやればいいのかもしれない。そのかわり、サーバーで使えるように、高信頼性、汎用性がいると。

なんか、そうやって考えると、Nvidiaの今の方針って、完璧な気がするなあ。でも、Fermiのことで世間ではすごい叩かれようだけれどもw

ここで思ったのが、ひょっとしたら、モバイルコ化、クラウド化っていうのは、一見、個人の計算リソースを貧弱にするような気がするけど、実は逆で、誰でもハイエンドの計算リソースにアクセスする機会を作りだして、本当にHPCが個人の使用に降りてくる新しい世界を作り出すのかもしれない。

みんな、ネットブックとかタブレットなのに、画面はSLIマシンよりもリッチなゲームがでているような世界。

そうか、だとすれば注目するのは、モバイルPCの成長に加えて、クラウド型のサービスの成長なのかも。Chrome OSみたいなやつ。

クラウドって言葉はなんか胡散臭いと思っていたけど、なんだかんだで需要があがって、実用的な存在になっちゃうのかも。

この2極化の流れは、これから両方向で極端なところまでいくだろう。モバイルはより省電力で、通信性能に特化して、演算はサーバーにオフロードする方向。サーバーは多数のユーザーからの演算を請け負うのに特化した性能。

まあ、どっかでローカルで重い処理が必要なアプリが発明されたとき、ゆり戻しがくるかもしれないが。

2010年1月1日金曜日

富野監督を超えろ!

あけましておめでとうございます!

昨年の終わりくらいから、来年はどうして行こうかというのが、いまいち自分でつかめず、いろいろ決心しては、心がおれたりしながら、うろうろしていていいモンを見つけた。

http://www.4gamer.net/games/103/G010304/20091221034/

また、富野監督のもんすごいぶっちゃけはっぱかけトーク。

いろいろためになることがあるんだけど、一番、今の自分にとって重要だと思ったのは、常に自分で考えて行かなければならないこと。

あと、わかっていたつもりだが、あらためて重要だと思ったのが、そもそもの部分からやっていかねばならないこと。あたりまえのところでも、そもそも本当なのか、なぜなのか、考えても無駄に思えてもまた繰り返して考えるくらいのことが実は非常に重要だということを、久しぶりに思い出した。

でも、多分、実はこれだけではまだなにかが足りていない。それは、多分全く違う方向、ジャンルのもの。それがなんなのかは、まだよくわからない。それを見つけなければ、富野監督は超えられん!

2009年12月25日金曜日

最後まで煮え切らない

機動旅団八福神の新刊でてるなと思ったら最終巻でした。

戦争の部分はなんかすっと終わっちゃって肩透かしで、最終巻のメインは"その後"。

なんか煮え切らないなかでの詩的でリアルな描写がよいのがこの漫画のいいところだ。最後の展開はまたなんとも煮え切らない。でも、最終巻通してのメッセージはなんか肩透かしを食ったような感を受けたなあ。自分の理解というか感覚がなんか追いついていけてないところがある気もするけど。

煮え切らないということは、漫画として落ちとかカタルシスに至りにくいわけで、それは劇的ではない現実世界に近い。だから、勧善懲悪とは程遠くて、誰が正解でもない、人生いろいろな感じになって、ゆるいといえばゆるくなる。そしてこの漫画はそういう感じで終わった。

そういう感じは、下手すぎる語り手でよくあることだが、この漫画は作者があえてそうやって話を展開させているようで、そこから描いていこう、見出していこうとしているから新鮮で面白かった。

そういうのって、いかにも悩める若者にありがちな空気感というか、シュールだけどロックみたいな感じで、実際のはなしも青春ロボットものだから、こてこてといえばこてこてかな。

それにしてもこの漫画で一番言いたかったことは、名取のことなんだろうか、半井のことだったのだろうか。突出していたのは名取の存在だ。あの自分の変な価値観のなかで完成されていく感じは、唯一無二で、違和感というか、はっきりいって気持ち悪い。半井は対極にいて、透明で空っぽのような人格で、屁理屈くさい名取に反抗していくような存在。この2人の対比がメインのテーマなんだろうけど、まあやっぱり、名取が強烈な引き立て役で、半井が答えなのかな。答えになっていないところがこの漫画かな。

2009年12月13日日曜日

がんと死

立花隆のNHKスペシャルを見た。がんの特集。番組の最後に、がん患者の最後を多くみてきた医師との対話があった。その医師は死ぬ場所をどこがいいか患者に聞くそうだ。患者は死の運命を悟りながら、家族達と最後の時を待つ。患者が、死を受け止めて最後の時を迎える様は、そう悪くはないように見えた。

人間は死によって完成する。と、天だったかで読んだような気がする。それと同じ印象を受けた。人間、最後は誰でも死ぬ。人生自体の本当の目的など誰も知らない。皆、なにかを見つけてそれをやりながら、生きるほかない。そういったものを思い出しながら、自分の終わりを感じて、受け入れることは、なにか超越しているような、最後にふさわしいものの気がする。

自分がいつまで生きるかは誰もわからない。明日、いや、あと1分後にだって死んでいるかもしれない。 もし、1年後だったとしても、その死の時を知ることができたら、それを受け止め死にたいと思った。

2009年12月10日木曜日

GPUはアートか、科学か

you tubeでこんなん見つけた。



たぶん1年前にやったやつ。とても印象的なのが、GPUは科学から始まったんではなく、アートから始まったという説明。アートをするには、自由に使うパレットがいるからプログラマブルになったんだと。何百年前の昔の世の中ならいざ知らず、この現代で、そんな理由で科学技術に至るものなんてあんまりないような気がする。

実際にはGPUの実行効率が思うように上がらないとか、電力を喰いすぎるとかいろいろ問題はあったとしても、やはり、こういう面白いGPUの転用を解として見出して、こんなにも短期間にハードと開発環境をそろえて、世界中に使えるように提供したのは、賞賛されてしかるべきかもしれない。もし自分でこんな仕事を体験したら、間違いなく大興奮しているだろうな。

ああ、自分も含め、世界中が騙されているだけなのか、真の革新と言えるのか。でも、確実にGPUの進行はつづいている。