2009年11月19日木曜日

雨降って地は固まるだろう

スパコンの凍結は、削減対象としてある意味シンボル的に取り扱われたような感があったが、逆に削減が妥当であったか見直すべきもののシンボルとして扱われつつあるような感じ。まあ、どうなるかわからないけど。

でも、ふと思い返すと、今回のスパコンの議論は、ハードの問題とともに、シミュレーションの存在の立ち位置見たいなのをよく映し出しているような気がして、よくよく考える機会としては良かったのかもしれないと思う。

シミュレーションていうのは、簡単に言えば、物事の大事な本質を抜き出して再現することだ。それで現実には難しかったり、不可能な状況を作り出して、どうなるかな?って試すことだ。例えば、飛行機の形を決めるときに、どんな形が飛ぶのに効率がいいのかなっていうことを試す。普通にやったら、実際に何回も飛行機を作って試すところを、シミュレーションだったら実際に作らないで、行く通りもいろんな形を仮想的に作って、何回でも飛ばして、試せる。最近は飛行機のほか、自動車とか新幹線の設計にそういうのを利用しているそうだ。

そういうのって、一体いくら儲かるのかとか、何が発見できるのかとか、まあなんとかして定量化とか説明はできるけど、あまり直感的じゃない気がする。やっぱり実際のものを扱った研究のほうが説得力とかわかりやすさはあるような気がする。だから、シミュレーションがわかりにくいのは、しょうがないのだ。シミュレーションとはそもそもそういう、いまいち直感的なものではない。あくまで、まねたもので、仮想的に試しているだけだから。それにシミュレーションは、はじめに、現実のものから得たデータは必要だし、シミュレーションの結果は、実際に現実の世界で試して見ないと確かめられない、リアルなデータに寄生するもろい存在でもある。それでも、シミュレーションが必要とされるのは、現実世界の広大な可能性の探索が途方もなさすぎて、その解決の活路が見出されそうだからだ。

もうひとつ今回の議論で、あらためて気づいたのが一般の人のスパコンに対する、いや、もっといえばや科学、研究というものに対する印象だ。恐らく、一般の人は研究が博打であるということをあまり知らない。一般の人にとって、科学や研究というのは実直で真面目で堅実なものという印象なのではないだろうか。自分だって、この世界に来る前には、そう思っていたと思う。でも、実際には全然違うもので、博打のようにあたればいいけど、失敗したら大変なものだという、やくざな商売で、当初、少し唖然としたことを覚えている。それから、自分の科学とか教授に対する見方ががらっと変わった。科学の分野にいると、いつしかそんなことは当たり前になって気にも留めなくなるが、恐らく一般の人は、そういうものだということを知らない人がほとんどだろう。事業仕分けのような議論には、いろんな人の立場の違いから生じる認識の違い、乖離が大きく反映されていると思う。事業側の説明する人ががそういう立場の違いを把握できなかったとか、仕分け側の説明を受けるほうが理解できなかったとか、双方で批判はあるけど、たぶん、しょうがないことなんだと思う。今まで、こういうのを公にみんなで議論しようなんて機会がなくて、はじめて、恥も外聞もなく意見をぶつけ合って、今回は問題が起きているんだと思う。きっと、説明する側も追及する側も、次はお互いもっとうまくできるようになるだろうと思う。それこそ、あるべき姿なのだろう。

今回の議論では、スパコンを含め、具体的に成果が得られて意味があるのかを厳しく問われたと思う。でも、科学というのは、上でも言ったように、これがこうなったらこういうことがわかって、次はこうなって見たいなことが始めから決まっていたり、わかっていることはほとんどない。逆にわかっていて、それがこれに必ず使えて、何年後にこれだけ儲かりますって言うのがわかっていれば、企業がとっくの昔にやっているはずなのだ。半導体のプロセスルールの微細化はある種そういうもので、技術の発達を進めるのは企業だ。

じゃあ、利益が出ない研究を国がやる必要があるのかっていう話になる。でも、何でもかんでも即座に利益がでるように進むはずはなくて、数年で利益につながるものもあれば、20年、30年後に利益が出るようになるものもある。企業だと20、30年研究する前につぶれてしまって、利益に結びつかないけど、もし20、30年研究できて完成すれば、ものすごい利益がでてきそうなんてのが、おぼろげに見えていたとする。そういうのを企業が手を出せないので放置しておくというのは、非常にもったいないなあ、もうちょっと長いスパンの大きな組織でやれるなら是非やって、利益を享受したいなあと思ってやるのが国の研究だ。

また、国の研究なら、市場での利益だけじゃなくて、人類にとって意味のあると考えられるものの探求、人間とは何か、この世は何か、ということを追求して、国民に還元することも、目的とすることができる。例えば、税金納めたうちの1%くらいなら、自分はどこからきて、この世はどういうもので、これからどうなるのかということに国がお金を使ってもいいと、皆思うんじゃないかな?まあ、90%使われたら怒ると思うけどさw サッカーが好きでお金を払って見に行ったり、音楽が好きでお金を払って聞きに行ったり、小説が好きで本を買って読んだり、歴史が好きで史跡を旅行で回ったり、そういうことと同等に、科学でこの世について探求した結果をみんなに還元して知ってもらうことは、なかなかお金には換算しにくいけど、みんな興味があって、そういうことがちょっとは必要だということは納得できるんじゃないかな?

 などなど、あまり全体としてまとまらないけども、研究者も、一般社会の人も、お互いに良く知って、そもそもお互い何のためにやっているのか、どうやって国は研究をなりたたせているのかを知るのはいいことだなと思った。

政権交代で、いろいろ壊れて、混乱は起きるだろうとは思ったが、やはりそもそものところから見直すことが必要なのだ。そういう注目を受けることは、きっとスパコンとかシミュレーションの産業にとって、実は非常にプラスだということにはっと気づいた。

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