とあるブログでESと京速計算について批判が展開されている。それについて思ったこと。
例えばESでの研究の結果、気象予測の精度が上がったら、日本でどれだけ経済効果があるのだろう。
ESで地震の予測精度が上がったら、どれだけ損失を防げるだろう。
ESで温暖化の予測ができたら、世界の人がどれだけ助かるだろう。
でもきっと、ESはそんな凄いことは、一つも達成はできないだろう。現在のテクノロジーでは、どれだけお金をかけても、やれることはたかが知れてる。
じゃあ、そんなことにお金をかけなくてもいいのだろうか?
例えばIPS細胞は、今は何の役にもたたない。だけど、将来、あらゆる病気の治療を可能にするかもしれないなら、研究に多少のお金をかけるのも納得できる。
これからの20年で、コンピュータの能力は少なくとも1000倍は上がる。そのときには、何ができるようになってるだろう。そのできることが決定的に社会や人生を変えるなら、それに見合ったコストはかけるべきだ。
だったら、20年後にどっかから買ってくればいいじゃんっていう話もある。でも、逆に日本でそういうものを作り出せれば、世界中が買いにくることになる。経済以外でも、社会貢献や軍事で計り知れないアドバンテージが得られる。
ただ、これまでの大型計算機プロジェクトの成果をみると、結局、将来的に何も達成できないんじゃと感じるのは仕方のないことだと思う。構築に金をかけることが目的で、作ればおしまいてきなものだと思われかねない。
将来への発展性を持ち、役に立つものであることを示すには、とにかく作ったものを使い倒して、成果を出さなければならない。そのためには結局、使える人を啓発、教育して作っていく以外にない。目に見えにくい部分だが、これが一番重要なのだと思う。
だから、自分の結論としては、1000億の国費を投じるというのは、将来のことを考えると十分意味があると思うが、それに見合った、使う人への投資をすべきで、そのバランスが大切だ、ということになる。今はそれがちよっと偏っているか、現状がみえにくい状況かと思う。
2008年1月17日木曜日
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