2009年12月25日金曜日

最後まで煮え切らない

機動旅団八福神の新刊でてるなと思ったら最終巻でした。

戦争の部分はなんかすっと終わっちゃって肩透かしで、最終巻のメインは"その後"。

なんか煮え切らないなかでの詩的でリアルな描写がよいのがこの漫画のいいところだ。最後の展開はまたなんとも煮え切らない。でも、最終巻通してのメッセージはなんか肩透かしを食ったような感を受けたなあ。自分の理解というか感覚がなんか追いついていけてないところがある気もするけど。

煮え切らないということは、漫画として落ちとかカタルシスに至りにくいわけで、それは劇的ではない現実世界に近い。だから、勧善懲悪とは程遠くて、誰が正解でもない、人生いろいろな感じになって、ゆるいといえばゆるくなる。そしてこの漫画はそういう感じで終わった。

そういう感じは、下手すぎる語り手でよくあることだが、この漫画は作者があえてそうやって話を展開させているようで、そこから描いていこう、見出していこうとしているから新鮮で面白かった。

そういうのって、いかにも悩める若者にありがちな空気感というか、シュールだけどロックみたいな感じで、実際のはなしも青春ロボットものだから、こてこてといえばこてこてかな。

それにしてもこの漫画で一番言いたかったことは、名取のことなんだろうか、半井のことだったのだろうか。突出していたのは名取の存在だ。あの自分の変な価値観のなかで完成されていく感じは、唯一無二で、違和感というか、はっきりいって気持ち悪い。半井は対極にいて、透明で空っぽのような人格で、屁理屈くさい名取に反抗していくような存在。この2人の対比がメインのテーマなんだろうけど、まあやっぱり、名取が強烈な引き立て役で、半井が答えなのかな。答えになっていないところがこの漫画かな。

2009年12月13日日曜日

がんと死

立花隆のNHKスペシャルを見た。がんの特集。番組の最後に、がん患者の最後を多くみてきた医師との対話があった。その医師は死ぬ場所をどこがいいか患者に聞くそうだ。患者は死の運命を悟りながら、家族達と最後の時を待つ。患者が、死を受け止めて最後の時を迎える様は、そう悪くはないように見えた。

人間は死によって完成する。と、天だったかで読んだような気がする。それと同じ印象を受けた。人間、最後は誰でも死ぬ。人生自体の本当の目的など誰も知らない。皆、なにかを見つけてそれをやりながら、生きるほかない。そういったものを思い出しながら、自分の終わりを感じて、受け入れることは、なにか超越しているような、最後にふさわしいものの気がする。

自分がいつまで生きるかは誰もわからない。明日、いや、あと1分後にだって死んでいるかもしれない。 もし、1年後だったとしても、その死の時を知ることができたら、それを受け止め死にたいと思った。

2009年12月10日木曜日

GPUはアートか、科学か

you tubeでこんなん見つけた。



たぶん1年前にやったやつ。とても印象的なのが、GPUは科学から始まったんではなく、アートから始まったという説明。アートをするには、自由に使うパレットがいるからプログラマブルになったんだと。何百年前の昔の世の中ならいざ知らず、この現代で、そんな理由で科学技術に至るものなんてあんまりないような気がする。

実際にはGPUの実行効率が思うように上がらないとか、電力を喰いすぎるとかいろいろ問題はあったとしても、やはり、こういう面白いGPUの転用を解として見出して、こんなにも短期間にハードと開発環境をそろえて、世界中に使えるように提供したのは、賞賛されてしかるべきかもしれない。もし自分でこんな仕事を体験したら、間違いなく大興奮しているだろうな。

ああ、自分も含め、世界中が騙されているだけなのか、真の革新と言えるのか。でも、確実にGPUの進行はつづいている。

2009年12月5日土曜日

マルチコアの曲がり角?

安藤さんのサイトを見てたら 、まさかまさかのニュース。

コンシューマ向けのLarrabeeキャンセル。

パットが急にIntelから他の会社に移るってことがあってから、まさかとは思ってたけど、マジか!!!
ついでにすでによく出ているが、CellのHPC向けも終了というニュースも。Cellも、Larrabeeも終わった。

もう残っているのは、実質、NvidiaのFermiしかない。ひとり勝ちのようにも見えるけど、果たしてそうなのだろうか。早くも、GPU、CPU統合の荒波が起き始めたと見るべきなのか。

Epicはどうすろの?次世代ゲーム機は?

ここらへんですべてが一回0に戻り、次の新しい世界がやってくるのかな。CPU、GPU統合とか、TSVメモリとか。マルチコアの将来はまだ見えてこない。

2009年12月4日金曜日

H.M.氏の脳スライシングライブ

ちらほらスラドをみていたら、H.M.氏の脳のスライス作成をライブでやっているとニュース!

HM氏といえば、教科書にもよくでてくる、超有名な被験者。もはや憧れすら感じる。昨年亡くなったそうです。その人の脳をスライスしているところをライブで放映するとは、いろんな意味ですごい!

今はちょうど海馬の領域のよう!

追記:
どうやら終わったよう。おつかれ~。

おかざきふ

google 日本語入力を入れてみて、今試してみた。
ちょっと変換にラグがある。いらつく。ちょっと実用的速度じゃない。辞書作って
いる始めだからか?もしくは、使っているノートが古いのが原因かもしれない
が、そうだとネットブックきついかな?


なんか変換の語彙がすごいらしいので、いろいろ変換をしてみる。ちなみに、
この文章も使って書いてます。


"おかざきふ"までいれると、岡崎フラグメントが見事に出てくる。これはすごい!
”えだじ”だと、江田島平八がでてくる。すごい!
”せいじょうさ”で、星状細胞でる!
”ふどうしょ”で、浮動小数点数がでる!
"おーやん”で、オーヤンフィーフィー!
”そうしょくけ”で草食系男子!
”まじかるた”でまじかるタルるートくん!


すごーい。なんか使っているうちに、変換速度も早くなってきた気がするな。


ブラウザもChrome使って、文字変換もgoogleだと、そろそろOSも変わっても
いいんじゃないかという気になってくるな。

追記:
"すぱこん"といれたら、スパコン世界一不要とでた…。どっから語彙を学習して
きたんだよ、おい。

2009年11月30日月曜日

女流漫画な日

本屋に行って、のだめの最終巻と江古田ちゃんの最新刊を買った。
めずらしく女流漫画家ばっか。

のだめが最後に先輩のもとを去っていく、バッドエンド気味な終わり方かもと思ってたんだけど、そうはならなかった。なんか、もう読んでて泣きそうw やっぱ、女の人って、なんか物語のレベルが高いな。いろいろ登場人物のやりとりの描写が高度?で、一回読んだんじゃわからないようなところがある。もう一回、1巻から順番に読みたいな。あーでも、こりゃいい漫画だった。10本指に入るな。

江古田ちゃんは、意外と読むのにガッツがいるのでまだ半分も読んでないが、相変わらず面白い。読んでて理解不能なのがたまにある。ある種表現の限界に挑んでいるな。作者の年の女特有の世界だから、理解しにくい部分もあるような。それにしても、全裸率や陰毛率が高いなw

2009年11月26日木曜日

ばかなの?死ぬの?

知的クラスタという事業がある。自分はちょっと関わっていた(?)ことがあり、結構、本格的にいろいろやってんなと思っていた。最近はもう離れていたが、なんと知的クラスタは事業仕分けで"廃止"とでたらしい。産官学連携も廃止らしい。

えーーーーーーー!?

結構、企業やら大学やらが集積してやっていて、大掛かりでやっていたのに、いきなり来年には吹き飛ぶわけ?遊びじゃなくて、自動車の超有名どころも来てたけど吹き飛ぶわけ?これは、ひどいことになるんじゃまいか?

しかも、知的クラスタって地方の事業でしょう。疲弊した地方で、唯一研究オアシスみたいなところだったのを、潰すとは…。知ってる人も働いているけど、一体どうするんだろ…。

身の回りでも、今回の事業仕分けで被害を食らっている人がものすごいいる。 一杯グラント取ってて、減額になりそうな人がいる。業績的に今年こそ取るだろうと思ってたら、応募できなかった人もいる。優秀な人に限って、この仕打ち。こういう人達は厚遇しないとでていっちゃうよ、本当。

なんか、よく知らんが、報ステによると、東北の有機ELのプロジェクトも潰すらしい。 もう、ばかなの?めちゃくちゃじゃない?スパコンだけどうこういってる場合じゃなくなってきたぞ。まだまだ、知らないのにそれ切っちゃうの?っていう、馬鹿みたいな事例が多分鬼のようにあるぞ、これ。

そんな、そこまでひどい無駄遣いが発覚したとかではない、比較的普通な、幅広いプロジェクトに対して、いきなり、今年度あと半年しかない状況でいきなり廃止って、ばかなの?
どれだけの人が雇用関係にあるかとか考えたら、景気に対してもすごい悪影響出るのわかるだろう。こんないきなりなむちゃくちゃ、裁判で訴えれないだろうか?

国でやるってなかば決めている話なんだから、普通、最低でも1年前くらいに廃止検討してますとか、アナウンスして周知徹底して、異論反論を引き受け、その上で雇い人の次の雇用の世話ぐらいして、それからだろ、廃止なんていっていいのは。まだ、自分のみに危険が迫っているのを知らない人とか結構いるぞ、きっと。

そりゃ、馬鹿みたいな事業ってのも世の中いっぱいあるんだろうけど、普通の事業をこんな、気が狂ったように切りまくるとは…。

総理大臣も汚職が深刻なようだし、一体どうなるんだろ。それとも、これから、日本の身の丈にあった社会になっていく必然の流れなのだろうか…???いや、違う、絶対違う。

2009年11月21日土曜日

ひきこもごも

今週は、次世代スパコンで騒がしかったが、一方他にも結構なニュースが。

まず、長崎大の浜田さんがGPUのスパコンでゴードンベル賞を取ったらしい!すごーい。
http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20091120AT1D2007C20112009.html

日本、いや世界のGPUコンピューティングの星です。(天体計算だからって、だれがうまいこといえry)。日本の大型スパコン凍結の一方、地方大学の人が世界の最高峰の賞を取るというのは、なんか皮肉というか、今後の日本のスパコンにも強い影響を与えること必死!

次世代スパコンにも続報。スパコン見送りで大ブーイング、スパコン見送り再考なんてのがきました!
http://www.asahi.com/digital/bcnnews/BCN200911200010.html
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2009112000391
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20091120-OYT1T00381.htm
意見が割れるというのは、ある意味思考のプロセスが働いているということだから、まあよかったよね。いろいろ中身を改善すべきところはあるかもしれないが、大枠でどうすべきかはもう、賢い国民は皆わかっているのだから、そうならざる終えないよね。民主主義ですから。

その一方で、ちょっと悲しいニュース。Cell は、XCell8iで終了
http://www.osnews.com/story/22518/IBM_Halts_Future_Cell_Development
最近、32コア版のロードマップの話が全然でてこなかったから、駄目かと思っていたらやっぱ駄目でした。あーあ。PS4どうすんでしょう。これは、Larrabeeの将来にもつながる話だろうか。でも、IBM的には部分的にCPUに統合していくというので資産を活かしていくという思想はあるみたいだな。GPUとCPU統合に近い方向のIBM版。

2009年11月19日木曜日

雨降って地は固まるだろう

スパコンの凍結は、削減対象としてある意味シンボル的に取り扱われたような感があったが、逆に削減が妥当であったか見直すべきもののシンボルとして扱われつつあるような感じ。まあ、どうなるかわからないけど。

でも、ふと思い返すと、今回のスパコンの議論は、ハードの問題とともに、シミュレーションの存在の立ち位置見たいなのをよく映し出しているような気がして、よくよく考える機会としては良かったのかもしれないと思う。

シミュレーションていうのは、簡単に言えば、物事の大事な本質を抜き出して再現することだ。それで現実には難しかったり、不可能な状況を作り出して、どうなるかな?って試すことだ。例えば、飛行機の形を決めるときに、どんな形が飛ぶのに効率がいいのかなっていうことを試す。普通にやったら、実際に何回も飛行機を作って試すところを、シミュレーションだったら実際に作らないで、行く通りもいろんな形を仮想的に作って、何回でも飛ばして、試せる。最近は飛行機のほか、自動車とか新幹線の設計にそういうのを利用しているそうだ。

そういうのって、一体いくら儲かるのかとか、何が発見できるのかとか、まあなんとかして定量化とか説明はできるけど、あまり直感的じゃない気がする。やっぱり実際のものを扱った研究のほうが説得力とかわかりやすさはあるような気がする。だから、シミュレーションがわかりにくいのは、しょうがないのだ。シミュレーションとはそもそもそういう、いまいち直感的なものではない。あくまで、まねたもので、仮想的に試しているだけだから。それにシミュレーションは、はじめに、現実のものから得たデータは必要だし、シミュレーションの結果は、実際に現実の世界で試して見ないと確かめられない、リアルなデータに寄生するもろい存在でもある。それでも、シミュレーションが必要とされるのは、現実世界の広大な可能性の探索が途方もなさすぎて、その解決の活路が見出されそうだからだ。

もうひとつ今回の議論で、あらためて気づいたのが一般の人のスパコンに対する、いや、もっといえばや科学、研究というものに対する印象だ。恐らく、一般の人は研究が博打であるということをあまり知らない。一般の人にとって、科学や研究というのは実直で真面目で堅実なものという印象なのではないだろうか。自分だって、この世界に来る前には、そう思っていたと思う。でも、実際には全然違うもので、博打のようにあたればいいけど、失敗したら大変なものだという、やくざな商売で、当初、少し唖然としたことを覚えている。それから、自分の科学とか教授に対する見方ががらっと変わった。科学の分野にいると、いつしかそんなことは当たり前になって気にも留めなくなるが、恐らく一般の人は、そういうものだということを知らない人がほとんどだろう。事業仕分けのような議論には、いろんな人の立場の違いから生じる認識の違い、乖離が大きく反映されていると思う。事業側の説明する人ががそういう立場の違いを把握できなかったとか、仕分け側の説明を受けるほうが理解できなかったとか、双方で批判はあるけど、たぶん、しょうがないことなんだと思う。今まで、こういうのを公にみんなで議論しようなんて機会がなくて、はじめて、恥も外聞もなく意見をぶつけ合って、今回は問題が起きているんだと思う。きっと、説明する側も追及する側も、次はお互いもっとうまくできるようになるだろうと思う。それこそ、あるべき姿なのだろう。

今回の議論では、スパコンを含め、具体的に成果が得られて意味があるのかを厳しく問われたと思う。でも、科学というのは、上でも言ったように、これがこうなったらこういうことがわかって、次はこうなって見たいなことが始めから決まっていたり、わかっていることはほとんどない。逆にわかっていて、それがこれに必ず使えて、何年後にこれだけ儲かりますって言うのがわかっていれば、企業がとっくの昔にやっているはずなのだ。半導体のプロセスルールの微細化はある種そういうもので、技術の発達を進めるのは企業だ。

じゃあ、利益が出ない研究を国がやる必要があるのかっていう話になる。でも、何でもかんでも即座に利益がでるように進むはずはなくて、数年で利益につながるものもあれば、20年、30年後に利益が出るようになるものもある。企業だと20、30年研究する前につぶれてしまって、利益に結びつかないけど、もし20、30年研究できて完成すれば、ものすごい利益がでてきそうなんてのが、おぼろげに見えていたとする。そういうのを企業が手を出せないので放置しておくというのは、非常にもったいないなあ、もうちょっと長いスパンの大きな組織でやれるなら是非やって、利益を享受したいなあと思ってやるのが国の研究だ。

また、国の研究なら、市場での利益だけじゃなくて、人類にとって意味のあると考えられるものの探求、人間とは何か、この世は何か、ということを追求して、国民に還元することも、目的とすることができる。例えば、税金納めたうちの1%くらいなら、自分はどこからきて、この世はどういうもので、これからどうなるのかということに国がお金を使ってもいいと、皆思うんじゃないかな?まあ、90%使われたら怒ると思うけどさw サッカーが好きでお金を払って見に行ったり、音楽が好きでお金を払って聞きに行ったり、小説が好きで本を買って読んだり、歴史が好きで史跡を旅行で回ったり、そういうことと同等に、科学でこの世について探求した結果をみんなに還元して知ってもらうことは、なかなかお金には換算しにくいけど、みんな興味があって、そういうことがちょっとは必要だということは納得できるんじゃないかな?

 などなど、あまり全体としてまとまらないけども、研究者も、一般社会の人も、お互いに良く知って、そもそもお互い何のためにやっているのか、どうやって国は研究をなりたたせているのかを知るのはいいことだなと思った。

政権交代で、いろいろ壊れて、混乱は起きるだろうとは思ったが、やはりそもそものところから見直すことが必要なのだ。そういう注目を受けることは、きっとスパコンとかシミュレーションの産業にとって、実は非常にプラスだということにはっと気づいた。

2009年11月15日日曜日

次世代スパコンの凍結したときのその後の前向きな妄想

ただ文句ばっかりいってても面白くないので、 もし凍結したとしてどうなるか?を少し前向きに妄想してみる。

凍結したのは、そもそも、1200億ぐらいの予算を、そもそもこういうプロジェクトに使っていいのか、予算に見合う納得できる成果を挙げる見込みがないんじゃないかという物言いから来ている。 今の国の状況みれば、単にお金ないから、予算減らしたいと。

1年凍結するとしたら、今のプロジェクトのままで世界一は恐らく難しくなるので、方針を変えるか、やり方を変えて世界一を目指すかしないといけない。

世界一を達成しつつ、多くのアプリケーションを走らせられるのが当初の理想だが、 そもそものところ、そこを根本的に考え直して、妄想してみよう。

今回の件で、「世界一」というキーワードがトラウマになって、政治的にそれを目指すのをやめるとかいうのが現実にありえそうだが、そういうのは置いといて、何を優先順位として持ってくるべきか、考えてみよう。

多くのアプリケーションを走らせるという哲学は、今のプロジェクト全体の流れや、科学技術発展への寄与ということを考えて、絶対外せないだろう。問題は、世界一を目指すかと、スパコンを国内メーカーに発注するかどうかだ。

スパコンを国内メーカーに発注するかどうかは、これはもう政治の問題のような気がして、科学の領域を超えているような気がする。国が完全に国産スパコンをあきらめて、IBMのBlue Geneでやれっていう号令がかかれば、そうやってできないことはないだろう。結局、現政権が、海外からの外部調達でよいとするのか、国で技術を持っておきたいとするのかの考えが反映するんだろう。コストパフォーマンスで完全に考えると、一瞬、海外メーカーがよさそうな気がする。

ただ、すでにこれまで500億ものお金を使ってきたわけで、海外メーカーに変更したらまた新規で費用がかかり、トータルで得なのかよくわからない。結局損するってことはありえそうだ。とにかく短期的なコストの削減にはつながらなそうだ。また、富士通から切り替えるとなったら、恐らくいろんな保障の問題などが起きそうだし、富士通の業績に影響するとなったら、市場経済の混乱にもなり、国としてはいろいろリスクを取らざるを得ない。

一方、世界一レベルの案件をいきなり海外メーカーに頼んでも、即座に対応はできないだろうから、時間的ロスはかなり起きるのではないだろうか。他のCPUやネットワークにするといったら、結局、設計からやり直すことになるから、時間かかるよね。その結果、ひょっとしたら、当初の予定から2、3年遅れるかもしれない。

こういうトータルのコストと時間的ロスを考えると、今から海外メーカーに変更はあり得ないと考えざるを得ない。メッセージとして示すために、ガラッと変えるという可能性はあるが、メッセージを示すのだけにやるには、あまりに得なことがなさすぎる。次々世代で変えればいいってなるんじゃないかな。

それじゃ、国産の線はいいとして、規模の変更をするかということになってくる。一部である議論が、一つの大きなスパコンじゃなくて、小さいのを行きつも全国に点在させるという案だ。たとえば1ペタを10個全国にばらまくとか。より多くの利用者を獲得できるという案。

しかし、これは箱モノを10個、新規に作らないといけなくなって、その土地の用意とか工事とかにまた時間がかかる。神戸にだけ最初に作って、他は少し遅れてもいいとかならいいかもしれないが。しかし、箱ものにお金がかかるから、予算は増えるよね、きっと。規模が縮小するといっても、電力もそこそこかかるから、それを供給できる場所をみつけて、用意するのは結構大変だろう。なんか、ぽっと思いつきで変更できるような案じゃないな、きっと。だから、これも現実的になし。

あくまでも凍結後も世界一を目指すという方向でいけば、ありえそうなのが、アクセラレーター系を足して、ピーク性能を大幅に増加させるという方向。CellとかGRAPE-DRとかGPGPUとかは最近はやっているから、あり得ない話じゃない。ツバメとか理研のスパコンとかは異種構成で、日本では意外と多い。問題は、これも全体の構成をおおきく変更するので、箱モノとかが立て直しとかになったり、ネットワークの構成もやりなおしになり、時間的に2、3年はロスが起きるであろうこと。あと、特殊なデバイスを足すのは、利用者側には負担になるだろうな…。

こうやっていくつか考えてみると、凍結して得になる案というのがなかなか思いつかない。うーん、実際のところなにか具体策があっての凍結なのだろうか?仕分けた人たちは、なんか考えているんだろうか?

一番ありえそうなのが、単に規模を縮小し、世界一は目指さず数ペタ?レベルで、1年後に再起動。予算を半分とかにして、利用者の教育資金の割合は増やします、とかはありえそう。物への投資ではなく、人への投資ですということで、利用効率を最大限に挙げます!とかのスローガンで、結局、泣きを見るのは富士通。

あ、でもまてよ、予算半減で、箱モノの中のスペースは半分余っているから、そこにGPGPUを1年遅れでアップロードしていきます、みたいなのは面白いかもしれない。それなら、理研は得意なはずだ。そう簡単に、空いているから入れるみたいなのがうまくいくのかが、完全に素人の妄想だが、予算的にはGPUは安いからいいかも。

あ、これいいなあーw そうなったら、自分GPUもやってますんで是非お願いしたいwなんか、本当にこれ意外とあり得そう。でも、ちょっと迷走し過ぎっていう批判も各所からでてきそうではあるな。

はーい、妄想終了

追妄想:
1年後というのは、FermiもLarrabeeもでているはずである。ここは思い切って、Larrabeeを大量導入して、世界初のLarrabeeスパコンっていうのも面白いかもしれない。Fermiでもいいけどね。SPARC with GPGPU。もう完全の趣味の世界全開バーストな妄想です。はい。ありがとうございました。

次世代スパコンの事実上の凍結

今、スパコン業界はどこにってもこの話で持ち切り。

「次世代スパコンの事実上の凍結」

どうも、ネットの様子を見ていると、6、7割以上(?)は、"なんてバカなことを…"という意見で、残りは"まあ妥当じゃないか"という感じ。思ったより凍結は支持されてない印象。おお、やはり日本の国民の知能は低くなかった。よかった。まだ救いだ。この仕分けがマスコミに取り上げられて、問題化すれば、たぶん翻ることもあるんじゃないかという気もしなくもない。むずかしいかな?

このプロジェクトは、確かに、そりゃもろ手を挙げて最高っていうだけじゃなくて、いろいろ問題をかかえてはいたけど(NEC脱退とか)、それでも、仕分けるようなもんじゃないのは確かだ。

このまま何十年やってもできる見込みが立たないっていうもんじゃなくて、もうさ来年には出来上がるという代物で、設計図もできているし、基礎の部分、建物も完成して、ご本尊のCPUも試作はできてて、これから物をいれてくという状況。っていうか、来年度にできなかったら、逆に意味がなくなるので、そのスケジュールを達成しようと必死にやっているとこ。さぼってお茶飲んでいる余裕がある人なんかいないだろうな。

それに、スパコン上で走るアプリはいっぱい計画されていて、やる意味がわからない胡散臭いものなんかでは全然なく、科学技術の発展のために、 ナノテクノロジー、気象、宇宙、タンパク質、生物、脳、その他たくさんの最先端の専門家が結集して、最先端のスパコンを使い倒して、成果をだそうとしている、科学技術の発展に非常に重要なプロジェクトだ。

費用対効果なんて、それこそ計り知れない。

新しいタンパク質の構造があきらかになって、薬ができて、それが日本人の生命に役に立ったら、それはどれだけ得することになるわけ?それで特許とって世界で売ったらいくら儲かるわけ?

地震のメカニズムの理解に役立って、被害を回避に役立ったら、いくら儲かるわけ?台風の予測もそう。

温室効果の予測が立って、被害の予測とか、回避する方策を立てるのにつかえたら、地球全体で一体いくら儲かるわけ?もし、何万人って人が災害で死ぬかもしれないのを回避することにつながるとしたら、それは一体いくら儲かるわけ?もう値段なんか付けらんない。

遺伝子の解析結果が、病気の治療につながっていったらいくら儲かるわけ?これはごっついと思うよ。

今半導体につかっているシリコンは、ムーアの法則で限界きそうだとかいってて、新しい材料を探し始めているけど、それをスパコンでシミュレーションする方法もあって、実際の物で試すだけよりコスト削減になるみたいで、見つかれば、半端なく儲かるけどいいの?MRAMなんかの次世代の不揮発性のメモリの素材開発だって、シミュレーションで探しているぞ?

宇宙とかのことがわかっても、利益にならんというかもしれんが、それはさ、みんなが生きている世界が、そういうところなのかってわかることっては、人生にすごい意味あるよ。お金ではかれなくても、みんなが面白いとか、へえ~って納得できて、そういうことって、個人個人の人生の行く末に、実はすごく効いてくることだと思う。

脳だってそうで、自分はどういう風にして考えているのか、自分はなんなのかって知ることは、人類の悲願だ。それにつながるなら、もう儲かるとか超越しているでしょ?でも、脳は儲からないわけじゃなくて、それこそ脳の治療や、脳型の情報処理システムにつながっていくので、儲からないわけがない。ロボットに脳が必要だろうってのは、誰だってなんとなくわかるはず。これからロボット産業が発展していくんだから、その脳は当然必要になってきて、大きな市場につながっていく。

こういう儲かるのを全部足してったらさ、たぶん1000億の投資なんて屁みたいなもんだ。しかも、もう半分予算使って、もうすぐ完成って時に止めるなんて…。

このプロジェクトは、どっかのダムみたいに、いつまでにこの予算でできるっていうのを思いっきり裏切って、目途がまだたってないわけじゃなくて、ほぼ予定通りできてて、やること自体は意味がすごくあるのは誰でもわからないわけがないというやつだ。NECの離脱があったとはいえ、それも何とか乗り越え、まじめに約束を守ってやってきて、しかもその成果は国のために非常に重要なのに、それを突然なんだかやめろというのは、誰も得しない状況。

しかもこの決定は、せっかく自分のところのお金を持ち込んで頑張っている富士通との約束を反故にするという、わけがわからない状況を生むのも問題だ。NECの場合とは逆に、国が訴えられても文句言えないんじゃないか?

半導体の問題よりも、さらに深刻なのはそれを使って科学技術を推進する人たち、人的資産をぶち壊すことだ。はっきりいって、半導体は、時間が過ぎればどんどん新しいのがでてくるから、まだ替えはきく。でも、人間はそうはいかない。こんなことをしたら、みんなプロジェクトからでていってしまう。半導体と違って人間を製造することはできない。プロジェクトで集まっている人は決して烏合の衆なんかではなく、各分野のプロフェッショナルだ。そういう人たちを失ったり、そういう人達の信頼を損なうのは、とんでもない損失だろう。これからどれだけ稼ぎだすかわからない、金の卵たちかもしれないのに、ものをぶっ壊すのといっしょに、人まですりつぶすなんて、一体何の得があるのだろう。

ちょっと、熱くなって長文になってしまったが、本当に意味がわからない決定だというのが、自分の意見。

まあ、たぶん、勘だけど、この凍結の決定はそうすんなりはいかないんじゃないかと思う。短時間で、よくわからない人たちだけで決めていいようなことじゃないし、きっと多くの一般国民もおかしいと思うだろう。

何週間かかけて、プロジェクトのヘッドも入れて、議論すればいいのに。なんでこんなことすんだろう。

スパコンについて特に書いたけど、スパコンだけじゃなくて、Spring8とか若手の科研費とかその他の事業だとかひどい状況だ。 科学技術立国とかいっておいて、若手の育成のお金を切るとか、誰が見たっておかしいでしょ?繰り返すけど、人的資産の損失は将来に深刻な影響を与える。人に投資するんじゃなかったの?温室効果ガスの削減25%は科学技術でやるんじゃないの?

なんかここまでおかしいと、なんかの謀略か外圧とか勘繰りたくなるが一体なんなんでしょう?まず、科学事業に関して、事業仕分けを画策した人は一体誰なんだ?どういう基準で、事業を選んだの?仕分け人の人選もそう。その過程の情報を開示するのが筋だ。どうせ公開討論とかやるなら、そこからやるべきだ。

ふー、熱くなったぜ。我がブログ史上、最長なんじゃないか?まあ、文句ばっかいっててもどうしようもないときってのもある。国ばっかあてにしててもしょうがないからな。自分でできることをやっていくのみ。

2009年11月8日日曜日

今年のベスト

なんか、すごい盛り上がって、すごいうけて、すごいかっこよくて、 なんだかよくわからないというもの。



Number Girlはちょっと好きだったけど、その後にまさかもう一段進化するとは思ってなかった。いや、もう一段どころじゃないか。

JBみたいでもあり、説法のようでもあり、めがねでもあり、舞台のようでもあり、お笑いのようでもあり、プロレスみたいなところもあり。

2009年11月7日土曜日

世間話

先日、あるHPC関係の人とたまたま話す機会があった。
ちょっと世間話になって、NvidiaのGPUの話になった。最近、ぽつぽつと計算機センターとかにも入り始めていたりするから、こういう話にもなる。それで、今、どうやらGT200がかなり品薄というか、ないらしい。

ああ~、もうすぐFermi出るしねと思ったら、どうやらFermiは出るのはまだしばらくかかるらしい。多分3月くらい?もっとかかるかも?

まあ噂話なんで、どれくらいこのソースが確かなんてわからないわけだが、どうもその他のうわさとあわせて考えてみても、本当っぽい。

 AMDはもう新しいのでてるのに、そんな半年も遅れるの?しかも、最近、AMDのGPUはかなり受けていて、うれているらしい。あと半年もなにもでなかったら、Nvidia餓死しちゃうんじゃないの?

なんて思ってたら、Nvidiaの最近の利益はすごい出ているってニュースを今日見た。あれれ?思いのほか儲かっているのね。 一体、Nvidiaってなにが一番儲かっているんだろう?実はIONとかが稼ぎ頭で、ハイエンドGPUってあんま関係ないのかな?

そういえば、ハイエンドはあんまり儲かんなくて、数もたかが知れていると昔聴いたような気がするな。F1みたいなもんだな。

ふーん、そうなのか。よくわかんないような、わかるような。Fermi対応のCUDA3.0は開発者版はでてるっていう情報もあって、これまでどおりならすぐ対応GPUもでそうなもんだけどなあ。

今年中には予定だけでもはっきりするみたいだからまあいっか。あんまり遊んでる場合でもないしな。来年の春まではおとなしく仕事しろという神のお告げかな…。

2009年10月31日土曜日

三角点とかけまして…

タモリ倶楽部で測量の三角点の特集やってる。こんなんで番組になるからすげーw

三等三角点がでてきたとき、BGMはメタリカのエンターサンドマンがいきなり流れた。

三等三角点でメタル?!あ、ひょっとして、エンターサンドマンの"さん"と、三角点のさんだから?
きづかね~w

2009年10月30日金曜日

ぱいなんとか

これちょっと面白そうだ。
http://mathema.tician.de/software/pycuda

いろいろ変化のあるCUDAにのっかっていて、pythonがいろいろバージョンあったり、scipyとかnumpyとかいろいろあったりかぶってたりするから、なんかちょっと不安はないわけではないがためしに遊びでやるのは面白そうだ。

手元ですげーでかい行列の計算がふと必要になって、ぽぽーんと実行なんて気軽にできたらすごい、かっこいい、しびれる、憧れる。


そういえば、pyNNなんてのもある。こっちはほとんど人伝えに聞いたことしかない。pyNESTなんてのもある。ふと検索したらpyNEURONなんてのもあった。すげー、なんでもあるなあ。

cudaでカーネル呼び出すのってそんなにコスト高くないと聞いたような?気がするから、インタープリタでその都度呼んで実行させるのもありなのかな。大きい行列計算なんかそれで十分成り立つんだろうな。ニューロンの計算はちょっとどうかなあ。

こういうのの科学技術計算向けの手引書とか書いたら絶対いいと思うんだけどないよな~。いい本とかまとめサイトできたら、結構matlabからごっそり移行しちゃいそう。

2009年10月25日日曜日

ぐるぐる回る妄想

今日は、GPUの行く末についての妄想をしよう。

GPUのアーキテクチャの変化や、淘汰は、当たり前だが、結局、市場原理にゆだねられる。

現在、その市場というのは、大きくはゲーム用途向けの市場であり、これが1年、2年で、他の用途に激変することはないだろう。

だから、少なくとも数年は、ゲーム向用途をターゲットととして、進化せざる終えないだろう。

最近のゲーム分野の先端の話を聞くと、次のトレンドはよりプログラマブルなGPU、より一層汎用化されたGPUが望まれているみたいだ。でも、それはあくまでも先端のゲームエンジンを作るところの話で、それがどこまで一般的に広まっていくかはわからない。

結局、このトレンドがひろまるのかどうかと、ひろまるとしたらいつなのかが、次のGPUのアーキテクチャの命運を決めていくんじゃないだろうか。

じゃあ、果たして、そのトレンドが広まるんだろうか?そのトレンド変化があまりにも飛躍したものだと、開発者側がみんなついていけなくて、なかなか移行は進みにくい。

そのトレンドの変化というのは、ある部分ではすでに体験している開発者がいるんじゃないだろうかと思う。それは、PS3のCellのSPEで、GPUの肩代わりをさせているような使い方をしている人たちだ。Cellでやるのはいろいろ面倒くささがあるが、ある部分は自分で好きにできる汎用性も享受しているはずである。

PS3でCellを使ったからといって、直接、開発者が汎用化されたGPUアーキテクチャに対応できるようになるわけではないが、"ああ、SPEでやったことはあるわ"見たいなことがあれば、少なくとも新しいことをやるということに対しての心理的障壁はかなりさがるんじゃないだろうか。

だから、まわりまわって考えると、PS3がこれから十分に売れて、市場も拡大し、PS3のSPEで、プログラマブルなGPU的なものを扱う経験をする開発者が増えることが、近い将来の、汎用的なGPUの受け入れをしやすくすることになるんじゃないだろうか。

はーい、大分、妄想に妄想が重なってきました。

じゃあ、PS3はこれから売れて、市場シェア一位を奪還することができるだろうかということが、結構重要になってくるじゃないだろうか。そういう市場動向という意味で、やっぱり、結局は消費者の選択が未来の決定に関わってくるというわけだ。

現在、かなりPS3は売れ始めているようで、年末はキラーソフトのFF13も出る。素人目にも、なんかいろいろやってみたいようなゲームがでてきて、値ごろ感もかなり感じる。来年も、グランツーリスモとか、God of Warも出るみたいだし、ある程度までは持ち直しそうな気がする。

じゃあ、結構PS3は大丈夫そうで、ひいては汎用GPU化の流れが後押しされるかなと思う。まあ、もちろん、それだけでGPUの汎用化が決まるわけじゃないとは思うけど、全体の空気を変える、潜在的な効果はあると思う。

ただ、ここまでの話はあくまでも、開発者が次のトレンドに乗っていけるかという話であって、のったとしても、のった結果のアウトプットが消費者に受け入れられないと駄目だ。要するに、汎用GPUによる処理画像を消費者が望むのかということだ。

GPUの汎用化で映像の自由度は増すわけだから、映像のクオリティーとしてはさがることはない。だから、映像の質で消費者が受け入れないことはない。問題はコストだ。ちょっぴりしかきれいにならないのに、値段が10倍では納得できない。基本的に自由度が増せば、どうすべきかの選択や工夫が入る余地があって、手間がかかってコストは増える方向にある。その増えたコストが、妥当かどうかの判断は感覚的なもので、予測するのは難しい。

とにかく、コストを増やさない方法を見出さないと成り立たない。そういう部分はゲームエンジンとかツールが担っている。だから、結局、GPUの汎用化にとって、エンジンやツールなどの環境整備が一番重要なんじゃないんだろう。ソフトウェアレンダリングていってんだから、そりゃそうだ。

もし、そういうゲームエンジンやツールができなかったら?もしくは、数年でなかったら?汎用的GPUは駄目だろうか?たぶん駄目だろう。Cellにしてもそこに苦労していろいろ駄目なところがあるみたいだ。

じゃあ、そういうゲームエンジンやツールを作ることはできるんだろうか?これは、そんなに不可能なことじゃないんだろうか。やればできるもので、あとはどれだけ重要視してお金をかけるか、お金が集まるかということだ。この重要性は、現世代のゲーム機開発者が重々感じているはずで、これからさらに成長していくのは間違いないだろう。

だから、ゲームエンジンの更なる発展が見込めると考え、コストの問題も解決できるんじゃないかなと無理やり結論してしまえば、最終的にGPUの汎用化が進むに違いないということになる。ただ、ゲームエンジンやツールが出てくるタイミングはまだよくわからなくて、その時期にマッチしないような汎用的なGPUは、早すぎて死ぬなんてこともあるんじゃないだろうか。

というのが今日のながーい妄想。

追記:
最近の日記を読み返すと、例のごとく毎日結論に一貫性がない。でも、それはその日の思いを尊重するという方針に基づきよしとしよう。でもちょっと、まとめて考えてみた。

 以前、破壊的イノベーションの観点に立つと、GPUの肥大化が行き過ぎてて、モバイル化の流れとともに、CPUとGPUの統合に飲まれるんじゃないかという気がしていた。

それに対して、今回は新しいレベルのグラフィックに移行するための質的進化が必要で、GPUの汎用化はコストを折り合わせてなんとかすすむんじゃないかという結論だ。

前者は、多分中期的展望、後者は短期的展望なんじゃないかと思う。で、汎用GPUで動く一般のアプリケーションが出てくるんじゃないかというのが、長期的展望(願望?)になるだろうか。

この短、中、長期の変遷は、連続性がないとなりたたない。人間が扱っている以上、変化は徐々に起きる。

ここで少しわからないのは、短期と中期が、ちょっと逆の流れになっている気がするところだ。変化は徐々に起きるとか言っておいてなんだが、ひょっとしたら、この短期から中期への変化は劇的におきて、市場に激しい動きがあるのかもしれない。

モバイル市場に席巻されるのか、新しいゲーム機の市場が牽引するのか。

事実として今携帯ゲーム機の市場のほうが、据え置きより大きい。だとしたら、携帯向けに最も主眼をおいた開発になるはずだ。でも、ゲーム機だけの話じゃないしなあ。携帯電話とか、デスクトップ、ノートとかいろいろ含めた上で決まるよなあ。

また、携帯と据え置きって言うのは完全に分離しているものでもなくて、据え置きように開発したものをダウングレードして携帯向けにするっていうのも普通の流れだから、分けて考えるのもどうも違うんだろうか。

う~、わかんねえ、腹減ってきた。これはもう少しゆっくり考えていかないとわからないな。

2009年10月12日月曜日

あるチャネルたんぱくの話

ある神経科学の本をよんでいたところ、余談としてこんな話が載っていた。


あるお医者さんが科学者に転身して、あるチャネルたんぱくを研究し始めた。はじめは、特に役に立つとも思えなかったようだが、自分がとにかく面白いからやったんだと。

そのたんぱくの機能を調べるには、どうしても3次元構造をみる必要があると感じて、電気生理の職を辞めて、たんぱくの生化学者とX線結晶学者として新しい職を始めたらしい。

まわりにはばかだといわれたそうだが、そんなことはどうでもよかったそうで、とにかく楽しくて、やり続けて、その結果偉い結果を得たんだそうだ。


果たして、自分はこんなことができるだろうか?ある程度積み上げたものを全部ひっくり返して、進んでいく勇気。というか、そんなものをかすめさせる、貪欲な興味。

意外と遠回りそうでそうじゃないと気付かない心理的な障壁が、一番の問題なのだろう。自分を省みて、決めつけている壁をみてけることと、そもそも本当になにがわかりたいのかということを、突き詰めるべきなんだろうと思う。あとは、自分が面白いと思うことを突き進むだけのことか。

まあ、こういう方法を知っても意味ないんだろな。自分がそういう人じゃないとできないんだろう。 自分には自分の道がきっとあるんだろう。

2009年10月11日日曜日

GPUとCPUの融合

最近、よく話を聞いたり、自分でも感じるのが、GPUとCPUの間のデータ転送の問題。クラスタ組むとき、対外ここがボトルネックになって、問題である。

じゃあ、GPUとCPUを統合すればましになるんじゃないかって考えるけど、ビジネス的にはGPUとCPUの組み合わせを選べないというのが問題になる。

結局、選べるのがいいのか、融合した方がいいのかを比べて、市場が決めるわけだ。

IntelとAMDはGPU内蔵を進めてるから、もうすぐディスクーリートGPUと混合CPUGPUの対決がみれることになる。

でも、クラスタで役に立つとかって、あんまり市場に影響力ないだろうな。一番重要な要素は、一般の人にとってなにが得になるかってことだ。GPUとCPUが融合すれば、データ転送能力が向上して、消費電力もよくなるだろう。これが効くのはネットトップとかかな?

一方、GPUのアーキテクチャの変化はすごく激しくて、それを選択していけるってのは依然として大きな利点となる気もする。でも、それってデスクトップで、しかもかなりマニアな人の話かな。

もし、これからのGPUがモバイルの事情に引っ張られる様になるなら、CPUと融合していくしかないんだろう。

そうじゃなくて、モバイルではないデスクトップで、新しい革新的なアーキテクチャが必要とされることがあるなら、ディスクリートがいいんだろうか。


でも、新しい革新的なアーキテクチャって、結局、GPUのCPU化ってことになるとしたら、極めてCPU的なGPUのLarrabeeが行き着く果てであって、IntelはそれをCPUと融合していけば、GPUのアーキテクチャの変化についていく必要がないのかもしれない。

それに、破壊的イノベーションの視点から見ると、今の特にNvidiaのGPUは行き過ぎている感がある。 そこそこの性能でいいから、GPUをCPUに混ぜていって、モバイルが主流になるっていうのが、結局は王道の気がする。実際、GMAはそれに近い感じで地位を確立してきてるもんね。

あれ、私、CUDAつかっているんで、そんな結論困るんですけど!

まあ、最後は実際の物が出てみないとわからんから、それをみて見極めねばならないな。どうせLarrabeeがCPUに統合されていくのにまだ、2、3年ありそうだし。

もし、CPUとGPUが融合するのが主流になるとしたら、 なにがどうかわっていくだろう。は、それって結局Cellと一緒ジャマイカ?

2009年10月5日月曜日

cell tv

ついにでるらしい。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0910/05/news067.html

"演算処理能力は理論ピーク値で200GFLOPSと、同社の従来製品比で143倍に上る。"

 思わずふいてしまいました。やっぱすごいねー。でも使い道あるんだろうか…。
高すぎて個人的には絶対買わないと思うけど、夢があっていいな。

2009年10月1日木曜日

Fermiきたー

http://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/kaigai/20091001_318463.html
http://www.4gamer.net/games/099/G009929/20090930012

GT300は、いろんなうわさがありつつ、本当かな~と眉唾でまっていたが、これはうわさ以上でしょう!

ECC対応
MIMD化
倍精度演算大幅向上
コンフィグラブルなShared memory or キャッシュ
メモリ空間の統合

まず、 上の3つはまことしやかにうわさされていたけど、そんなすぐには無理だろうな、あと数年かけて段階的にだろうなと思っていたのが、いっぺんにきたー!これはすごい。このうちの一個でもできれば、万々歳だと思っていたら、すごい!Nvidiaは、AMDの流れでひよるどころか、思いっきりHPCの流れを出してきた。そんなにHPCってもうかっているのだろうか?Nvidia本気だな。

その次の2つは全くの予想外だった。Shared Memoryは、もうこのままあまりいじらないのかなとおもっていたけど、最近AMDは倍増してたからひょっとしてとは思っていたが、まさかキャッシュもいれるとは。これで、結果的に、Larrabeeとかなり近い構成になってきた。整数演算用のパイプも別に入れてきたのもそうだ。これって、画像処理でも有効に使えるもんなの?

あとは、性能的なところは、うわさのとおり、ほぼ倍増。GDDR5。

あと、気になるのが、SMあたりのSPの4倍増。 命令ユニットも増えた。この結果、Warpは変わるのかってところ。今までは8SP*4clockで32threadだったけど、32SP*1clock=32threadになるんだろうか?そうだとして、これがどう効いてくるかは、わかりやすいのでいえば、逐次で実行される命令数の数が増えるってこと。CPUが3GHzくらいで実行できるのに対して、Fermiでは1.6GHzくらいで実行できるようになって、遜色なくなってくることになるかもしれなくて、逐次計算が必要なある種のアプリケーションでは非常にありがたいだろう。実は自分も最近リアルタイム計算とかやっているので、これはありがたいかも。

あと、複数カーネルの実行ができて、メモリ空間が統合されるとなると、例えば他のSMのShared Memoryに直接アクセスできるようになるのかなっていうのも気になるところ。Atomicの命令を改善するみたいだし、それをやるってことは、まわりまわって、ひょっとしたらできるかもしれないな。

こうなってくると、もうほとんど16コアの32ワイドのベクタ長のCPU見たいなもんだ。すごいな。FermiとQuadのCore i7 とか載せていると、CPUが二つのっているような感じで変な気になってくるな。

あとは、本業の画像処理性能がどれだけあるのかっていうのと、これだけ改良して不良なくちゃんと動くのか、発熱問題は大丈夫なのかとかってところ。 Tesla世代のプログラムもちゃんと動くのかって言うのも、結構大切かも。でも、Fermiをがっつりうごかすには、Teslaのプログラムをかなり手を入れないとだめかも。まあ、自分は趣味なんでいいですけど。

これは、他のプロセッサにすごい影響与えるな。特にLarrabeeと、もろにバッティングするだろうから(ピーク性能ではFermiが上)、 Larrabeeが、自分の位置づけをどうするか。AMDのGPUは、Nvidiaとはもうかなり別モンになりつつあり、このままいくと、どっちかがトレンドをはずして死ぬこともあるかもしれない。どちらもそれぞれの立ち位置で生きていけるってのもあるかもしれないけど。GPUの本業としての利益に比べたら、HPCの利益なんてたいしたことないと思うんだが、そうするとAMDの方がまともに商売やっていけそうな気がする。でも、IntelとNvidiaをみていると、汎用的なGPUに時代の流れは向かっている。どうなるんだろう。やっぱり、問題はキラーなアプリケーションしだいかな。あと、次世代ゲーム機の動向も、GPUの流れを決めるだろう。その観点からみると、一体なにが選ばれるんだろう?

あ、Cellはどうなんだ?

2009年9月30日水曜日

意識の先1

家で少し夕飯を食べ、うとうとしてしまった。外を見ると、わずかに雨。もう、今日は仕事場に戻らなくていいかなと思ったが、このまま家にじっとしているのもなんかいやだし、これくらの雨なら打たれるのもかえって気持ちいかなと、戻ることに。締め切りの書類もあるし、やりたいこともあるし、まだ体力はあるし。

秋の自然は、いろいろうつろうから、そういうのを感じるたびに、いろいろ考えたり、思いだしたりする。

 

道路を走る車をみながら、思いは巡る。

走り、歩き、長い道のりに気が遠くなりながら、それでも無心になって、いや無心になりきらなくても、とかいろいろな邪心が入りながら、はいつくばりながら、俺はもう死んだ方がましだとかちょくちょく思いながら、いいこともあって、悪いこともあって、わけはわからないが、とにかく前に進む。

いつしか、意識はずっと続く道で、ただひたすら歩き続けることにのみに収束していく。決して死んではいないが、激しい起伏はなくなり、ただただひたすら思いはその先にある。

最近は最近で、なにかわかったような気になることもあるが、まだ、わかってないこともあることにも気づく。この道の終わりに何があるのか、終わりの頃に何を感じるのか。何も変わらず、突然意識が途切れるだけかもしれないと思うと少し嫌だが、そうじゃないんじゃないかという予感もある。

そんなところに行きついて、意味があるかわからないけど、意味がなくても行きつくんだろう。

2009年9月29日火曜日

意識の先0

ただただ、前に進む。でも、進んでいくことに何の意味があるのかよくわからない。わかっていると思っていても、わかったような気になっているだけだと思う。どこかでそう自分を思い、あきらめながらやっているような気がする。

惰性で進んでいるだけともいえる。でも、ここまで続けていると、単に惰性だけではないという気がする。だから、罪悪感だけではない。そのせいで、永遠に続く麻薬のようになっているのだろうか。

本当に好きでやっているかなんて、よくわからない。結局、そんなの自分で意識したってよくわからない。っていうか、本当に好きってなんだ?何か目的があって続けていることは、好きでやっているのに入るのか?ちょこちょこっと確かめてみたいって言うつもりで、その連続でやりつづけることは、好きでやっているっていうのに入るの?結果が良かろうが悪かろうが続けるのが好きって事?
別に誰も、本当に好きじゃないとやっちゃいけないなんて言ってない。そんなの決められない。そういうことをいう奴にわかられたような顔されたって、大抵どうってことない。結局、そういう意地をはりつつも、そんなものだけじゃ続かない。だから、そんなこともどうでもいい。

ただ、一歩、一歩、踏み出すだけだ。それは好きだからやっているっていうわけでもないような気もするが、嫌いでもないし、どっかで好きな部分もある気もする。

そういうことも含めて、意味もないのに考え、考えたことも忘れ、そのうち思考は衰えて、体感的は駄目な自分を感じながら、なにかをうらんだりして、うろうろして、ぎりぎり何か見えてくると、手のひらを返したように、走り出す。

2009年9月5日土曜日

マーティ曰く

なんかモームスの海外ライブがテレビでやってて、なんとなくみてたら、マーティーフリードマンがアメリカ人的視点でコメント役として登場。

なんか、日本人の年をとってもかわいい感じでいくのが、アメリカにはないんだと。それが日本の文化にはあって、いいと思うんだと。マーティ曰く、

「アメリカ人もそのうち悟ると思います。」

悟るって…。

2009年8月27日木曜日

close to the edge

深夜、ある日記を見ていたら、なつかしのジェネシスのmusic box。
これは確か、途中で挫折した曲だったような…。

ようつべはこんなお宝動画があるのか~、そういえばプログレ動画あさりとかしたことないなあと、見始め、やっぱり、プログレといったら、俺にはYesなのだ!
そしたら、こんな、お宝教則が!




にしても、ライブ動画とか見ても、Close to the edgeのイントロのギターってなんか、ヘロヘロしている。当時はこれでよしとしていたが、今考えると、スタジオ版にあった、ジューシーな感じがない。ギターのせいか?エフェクタ?重ねて録音してる?おかしい。

改めて、スタジオ版を聴いてみる。ああ~、いい~。天才。最高。これだ、これぞ至高。

でも、おかしい。なんか重ねているようにも聞こえるが?なんなんだこの、リフは!?ちょっとくじら18号にも似たこのリフ。72年くらいだから、録音的にはたいしたことはできないはずだが、なんだこのこしがありつつもつややかなのびのある音は。結局、スタジオ版以外で、この完全な演奏って聴いたことないんだよなあ。

いや、やっぱ、このギターのうらの、ひずんだ攻撃的なベースがたまらん。かっけい。ギターに負けてない、フレーズに絡んでくるところはどうだ。それに加え、俺はこのドラムがすきなんだ。ずっと、変則的な、しかも知的に落ち着きを見せるこのドラム。


やっぱ、秋はプログレ。

2009年8月26日水曜日

祭りの終わり

PS3 slimが発表された。最近、HPC系であまりニュースがなかったせいもあり、深夜の速報をみながら、ひさびさにどきどきわくわくしながら、発表を待っていた。

slimで29990円。やったー!!!別に買うわけじゃないんだけど喜んでしまう俺。

発表の興奮冷めやらず、しばらく、slimの情報をあさっていたら、otherOS撤廃の公式っぽい情報を見つけた。まじ…???

実はこのうわさは、slimのうわさとともにしばらく前からあがっていた。まさかないだろうと思いつつ、そういえばと思うような兆候が、いくつもあったといえばあった。まあ、クタタンがいなくなったことがそもそもといえば、そうである。

Cellのエコシステムは、完全に引導を渡された形だな…。まあ、これがあってもなくてもどうだったかなという気もするが、ひとつの楽しみは確実に消されてしまったことは確かだ。

もしotherOSがサポートされてたら、これからslimが普及して、中学生とか高校生が、夏休みとかに試しにOS入れてみて、遊んだりするとか、多分、すっごくあると思うんだ。Cellでマルチコアを始めて勉強したとか、アーキテクチャの勉強したとか、ものすごいありうると思うんだ。高専でクラスタ作って、円周率の計算とかやったりすると思うんだ。

なのに、なんでこんな馬鹿なことを…。そう考えていたら、ふと、次世代計算機からNECが撤退したことを思い出した。あれももったいない、なんでと思ったもんだ。

そう、結局、どちらも同じ理由なんだ。立ち行かなくなり、背に腹は変えられないほど、ほんとうに瀕死の状態なのだ。Linuxなんかサポートしてたら、死ぬのだ。死んだら元も子もない。だったら、Linuxぐらい切るのである。PS2互換だって切るのである。そりゃそうだ。屁にもならない。借金もたまっている。普及度も3位である。下手したら、本体から切られる。

これで、もしPS3が持ち直すことができれば、この変更は、大英断として語り継がれるだろう。そして、PS4はゲームであるというスタンスで行くことになる。もう、ずば抜けた性能は要らない。作りやすい、わかりやすいハード、環境を第一に目指すだろう。

あるビジョニストの妄想からはじまった夢。ゲームを飛び越え、コンピュータでエンターテイメントの世界を築くという壮大なビジョン。それは、家庭用のスパコンをつくりだし、世界一のコンピュータをも実現した。しかし、祭りは終わった。ゲームに戻らなきゃいけなくなったのだ。いやー、でも最高に面白かったなあ。こんな痛快なことはなかなかない。

またいつか、ゲームと科学の垣根を越えた祭りに参加したいな。

2009年8月25日火曜日

プロとは

あるテレビに浦沢直樹が出ていた。あまりこの人の漫画は好きではないのだが、なんとなくテレビを見てしまった。

なんか、とにかくすごい苦労して、批判に負けずにがんばっていたので、偉い人だと思った。

最後にふと、「プロフェッショナルとはなんですか?」という質問をされた。

よくプロというのはこうこうですといえる人がいるけど、自分はいつもなにかそういう回答に対して、違和感を感じていた。なんでそんなの決まっているの?という違和感がいつもある。

だから、浦沢直樹はなんていうんだろうと思ったら、少々あきらめた感?をかもしだしながら、「締め切りがある人」みたいなことをいっていた。

これは、大いに納得した。そうだ、そういう人だ。アウトプットが責任として求められる人だ。それは、プロダクトが社会的に必要とされているからだ。報酬も発生し、当然厳しい評価を受ける。それに向けて、心血を注ぐことになる。プロだからこそついて回る悲劇だな。

これは、非常に謙虚であり、本当に仕事をやっている人だからこそでる答えなんじゃないかと思った。ひとつこころのもやもや解消。

2009年8月11日火曜日

計算機センタいってきました

今日、とある計算機システムを見学に行った。

大学の計算機部屋とかはいくつか見たことがあるけど、おおきな規模のはみたことがないので、おら、わくわくがとまなねえぞって感じでした。しかし、おえら方がいっぱいあつまっていて、ちょっと怖かった…。

この計算機システムは、当初、PCのクラスタっていうイメージが強かったんだけど、なんと、かなりの量のGPUも搭載していた。GPUはそのうち入れるかもしれない程度なのかと思っていたら、もうすでに搭載していたからびっくり。しかも、PCクラスタとピーク性能は匹敵するくらいあるのだ!いくら価格性能比がいいとはいえ、結構な割合ではいってんなと、感心した。やる~。

やっぱりGPUに時代がきつつあるな。計算機システムを利用する人々の話を聞いても、GPUへの期待がものすごい大きかった。これは意外とGPUの利用率はいいのかも。

こういうセンターに導入されれば、使う機会が出て、ユーザーも増えて、うわさがうわさを呼び、安いし、自分のとこにも入れようとか増えそう。そしたら、GPGPUビジネスやってたら儲かるんじゃねえかと、妄想。GPGPUのコード開発と、GPUをセットで外注しても、価格性能比でCPUよりいいなら、そっち系のソリューション請け負いは、商売になるんじゃないという。

GPGPUはまだ始まったばかりだし、Cellの例を考えても、まだ成功するかどうかはわからないが、まだまだこの業界は面白くなりそうだ。もしIntelがLarrabeeを本気でやってくるなら、GPGPUの普及はさらに促進するだろうから、ますます、存在感増すだろうなあ。

今の世の中、GPUが市場に出回る限り、GPGPUがなくなることはないし、当分GPUがなくなることもないから、それの上で商売するっていうのは、結構、安定するのかもしれない。GPUに足りないのは、最適化のめんどくささを解決することだから、それをできたら大儲けかも。

は、またお金のことばっかり考えしまっている。いけません。

考えを変えてと。GPUのトレンドの流れの先の先をよんで、神経回路網シミュレーションに使うというのを、本格的に考えるべきかも。でも、Nvidia系のGPUはまだ、CPU化が進むみたいだし、Larrabeeもまだいろいろ謎だし、GPUの変化が止まるには、あとちょっと待つ必要がある。

それまでは、既存のシミュレータの哲学とか、アルゴリズムを把握しておいて、GPUアーキテクチャが固まってきたら、GPU用のプラットフォームを作るのがいいかも。あと、2、3年かな。

2009年8月1日土曜日

国、金、科学 その2

ある日記経由で、面白~いページを発見。

http://www8.cao.go.jp/cstp/sentan/wt.html

2600億だったか2700億くらい投入するという国家プロジェクトの資料。

脳分野の扱いはどうやねんって、適当に資料を見てみると、あんまり扱いが大きくないなあとか、ロボットもあんまり目立ってないなあとか一憂。そう思ってると、ある資料では大きく上げられていたりと一喜。

最近、お金のことばっかりだね。>俺


しかし、この資料というのは、どんなバイアスがかかっているかわからないけど、一応、公開されているものだし、アンケートなんかも取ってるので、それなりにフェアに各科学分野が取り上げられているとすると、日本の科学の状況が一望できる資料になっている。

そういう意味では、今の最先端はどこにあって、各分野がどういう方向を目指しているのかというのを、即座に知るには、なかなかよい。そういう目で見直すと面白かった。

なんか、この予算配分とかを自分で好きにできるシミュレーションゲーム作ったらおもしろいだろうなと妄想。「僕の国家」みたいなやつ。もしあるとしたら、どうお金を配分するだろう。

まず、国家にとって大切なことをなにとするかを考えないといけない。なにがどういうふうに、国家に利益をもたらすか。

そして、日本では、どの分野がもともと強くて、お金をかけたら見返りが得られそうかを知らないといけない。

前者は、その人その人の哲学で、かなり違ってくるだろうな。後者は、その人の持っている情報によって、変わってくるな。各分野の代表のプレゼン次第なところもあるな。

個人的には、工学バリバリ国家にしてみたいなっていう気がする。だって、儲かるし便利になるもの。しかし、他のこともよくよく考えるとどうだろうか。工学のおかげで計測機器が発達して、あらゆる基礎科学にもフィードバック、総じて発達ということになって、結果いい国家になるだろうか。それとも、やっぱり基礎への重心が軽すぎると、短期的な成長しかできず、先細るだろうか。うむむ。

やっぱり、マニフェストじゃないけど、哲学がいるな。世界に類のない工学国家っていうのもいいと思うけど、もうちょっと、世界でどういう存在でありたいのかっていうのを、考えるべきだろな。

そう考えると、シンギュラリティっていうのを軸に組み立てるっていうのも一つの選択かもしれない。散々な成果しか出なそうだが…。

2009年6月29日月曜日

ゆりかご

今日、本屋でふと、これまでの科学技術の発展についての本を見つけた。これまでの発展の歴史から、おのずとこれから先のことも浮かんでくるだろうから、こういうのを見るのは好きだ。見開きで代表的な科学史の表みたいなのがあって、見てみると、ないのだ、”脳”という単語が。半導体とか、生命とか、原子力だとか、そういのはあるが、脳はない。この本の著者の趣向とかでこういうのは変わってくるのだろうけど、恐らく、これが正当な、客観的な、社会の目なのだ。

そうか。これだけお金がかけられてきたけど、脳の成果って、大きな目で見るとないに等しいのだ。科学分野としての規模は結構大きい割りに、この現実(※見えないところで、一杯蓄積はしているよ!)。

まあ、寄与がほとんどないと言われたら悲しいが、これは、いろんなことを意味していて面白い。

まず、脳の分野は、社会でまだ活躍するほど、開拓されていなくて、もし社会にフィードバックされたら、想像を超えたものになるかもしれないのだ。なにしろ、まだ、ほぼ、誰もそのフィードバックを体験していないのだから。

もうひとつ、脳はお金をかけても、なかなか、役に立つことに結びつかない。例えば、半導体なら、何兆円かければ、1世代シュリンクできて、その恩恵で社会にこれだけ寄与するというのが、かなり明確に試算できる。少なくとも脳に比べれば。だったら、社会は自ずと、半導体に投資をするのは当たり前だ。遺伝子技術にしても、具体的な薬や、ips細胞だとかが役に立つというのは、かなりの人が理解でき、社会が、それに投資することを認めるだろう。

脳がいつになったらものになるのか、そんな日が来るのか、誰も断言はできない。でも、科学史の表を見ながら思ったのは、コモディティ化の恩恵というのは、脳科学をあらゆる方向から加速しているということ。

遺伝子技術は、脳というより、医学の目的で進化していて、民間にも浸透しつつあり、脳研究はその恩恵にあずかって、すさまじい速度で解明が進んでいる。

また、半導体技術の進展は、指数関数的に並列処理能力を上昇させていて、脳型のデバイスや、脳のシミュレーションの可能性を、とんでもない速度で広げている。

脳は学際的で、複合的な技術が必要な分野。そして、現在、社会は、さまざまな科学が、互いに交じり合って、互いの進展をさらに加速している。そのなかで、一番、恩恵を受けるのは、実は脳だ。そして、一番、恩恵を受ける甲斐があるというか、深い底を持っていて、その見返りも、多分、これまでのどの分野をも超えるものになるだろう。産業革命、情報革命につぐ、脳型革命と呼ばれるような日がくるだろう。こんな確信、いや妄想、いや希望を抱いて、本屋を後にした。


その後、お昼にふとweb記事をみると2600億くらい、国は科学にぶっこむらしい。なんか、100人くらい選別して、配分するらしい。そうそう、これくらい、やりゃいいんだ。もとを取れそうなところでいいからさ。あくまで、国が得をすることを、やればいいんだと思う。日本は幸い、平和的に、それをできるすごい位置にいるんだから、やってしまえばいいんだ。そして、その結果を理解できる賢い国民がいるんだから、絶対、文句は言われないと思うんだけど。


そして、家に帰って、テレビタックルを見た。脳死の立法で、議論がヒートアップして最後、とりまとめで、うまくかわそうとして、たけしが、チップが脳に入って、何が脳死になのかもわからないくなってきた世の中だから、国の漫画喫茶なんかやめて脳にチップ入れるような研究方面にお金をどんどん入れればいいのになっていうようなことを言って、ちょっと無理やりだなあ…って感じで終わってしまった。ちょっと、いいぞたけし、とも思ったけどw

象徴的だなあ。やっぱり、まだ、脳は、夢の話として語られるレベルなのだ。しかし、みながそれを語りたがるようなものでもあるのだ。日本の漫画にはいろんなSF見たいな、脳がからんだ話もあって、だから、やっぱり、そんな夢の将来を日本では、みんなで話せるんだとも思う。

こんな時代のこんな国のポテンシャルを国民の皆さん気づいています?

2009年6月20日土曜日

8ペタ来てます

すっかりFolding@homeのことを忘れていて、ひさしぶりにどうなっているかなとみると、8ペタまでいってました!すご~。

http://fah-web.stanford.edu/cgi-bin/main.py?qtype=osstats

昨年の秋ごろ、そんなにいってなかった気がするなあ。それから倍増してないか?よく覚えてないけど。
Nvidiaが4ペタの、PS3が2ペタの、ATIが1ペタ。すごい時代になったでしょ~。これがGPGPUなんだよね。あ、Cellはちょっと違うか。

このぶんだと、今年中に10ペタいくのは間違いなそう。さらに、来年になると、Larrabeeたんが参入してくるはず。

それにしても、ここに出てくる数字っていろんな要素を持っていて、それぞれのプラットフォームの状況が透けて見えるようで面白いな。

それにしても、Folding@homeの計算て、いつになったら終わるの?

2009年6月17日水曜日

1956年の神経回路網の計算?

IBMに関するある記述を発見。

On a historical note, in 1956, a team of IBM researchers simulated 512 neurons (N. Rochester, J. H. Holland, L. H. Haibt, and W. L. Duda, Tests on a Cell Assembly Theory of the Action of the Brain Using a Large Digital Computer, IRE Transaction of Information Theory, IT-2, pp. 80-93, September 1956.).

1956年にそんなことやってたのか。っていっても、どんなことか詳細はわからないが。でも、このころにすでにこの発想があったというのが、すげー。Hodgkin、 Huxleyから数年しか経ってないけど、どんなモデルでやったんだろう。

TraubがIBM所属なんてのも、これなら納得。IBMは昔からこういうことを目指していて、それは今も続いている。IBMは特別なんだな。

国、金、科学

あんまり個人的には気にしてないけど、日本は科学者とか技術者が冷遇されいるって言うのはよく聞く話。

大学の先生とか見ると、それほどいい待遇とは言いがたいなと実際に思う。

なんかぶつぶつ文句言ったってしょうがないし、そうなる現実があるのは原因があるわけだからなあ、とは思うけど、客観的に考えて、

「なんで、現代では社会経済の根底に科学技術が関わることが誰がどう見たって明白なのに、自らの首を絞めるようなことをするんだろう?」

とは、素直に思う。なんで?別に研究やっている人の自己満足とか夢だとかどうでもよくて、技術が上がれば、それで商売ができて、生活は豊かになって、得をするのは国、国民なのに、なんでそこにお金をかけないんだろう。科学技術で、これまで散々儲けて、おいしい思いをしてきて、総じて賢い人間が多くいる国のはずなのに、なんで?

科学者以上に頭が良くて、科学者を利用できる人が、うまくやっているから?そういえば、逆に、思いっきり科学に金を馬鹿みたいにかけまくる国ってみたことないな。科学が絶対なら、そこまで極端な国があっていいよな。ようするに、国の繁栄=科学の繁栄ってのは、絶対じゃないってことだな。

2009年6月16日火曜日

1996年の神経細胞の並列計算

たまたま、Traubの1996年のNatureの論文を読んだ。
普通、神経細胞のモデルの話でNatureはなかなかない。やっぱTraubは偉い。

数十個のニューロンからなるネットワークモデルの話。方法にIBMのSP1とSP2という並列計算機を使ったと書いてある。このころから、並列計算機でやってたのか。

で も、SP1とSP2って知らないな~と、ネットで探してみたところ、なかなか詳しいスペックとかでてこない。ようやくでてきた資料によると、どうやら1 ノードで125~250MFLOPSくらいらしい。13年まえだから、そんなもんだろうか。今のGPU1チップと比べれば、4000倍以上の性能差。

4000倍も遅けりゃ、数十個の神経細胞のネットワークでも並列計算したくなるか。さすがTraub。っていうか、Traubって所属IBMなのか。 かっこいい…。もともとIBMは脳の研究とかに近いってことか。だからBlue Brainとかやっちゃうんだな。

は!IBMだったら、脳科学者をやとってくれるかな?でも下克上が大変そう。

2009年5月14日木曜日

ベクトルプロセッサの死と誕生

なんか、ここ最近企業の赤字や人員削減の話が信じられないくらいほどでてきている。リストラされた人たちは一体どこに行くのだろう?と不思議なくらい、ものすごい数の人員削減が発表がされる。大手はみんな何百億円とか何千億円の赤字を発表して、社会がもつんだろうかって感じだ。GMももう駄目らしいとか普通にニュースになってて、そうなったらまた株の大暴落が起きるんだろうか。

そんな世界の大不況が、HPCの業界でこんな形であらわれるとは。日本の次世代計算機からNECが撤退だ。地球シミュレータで一世風靡して、つぎも大いに期待を受けていた、あのNECが国策を途中で放り出すなんて。本当にはじめニュースをみたとき、冗談だろと思ったよ。これほどのことをするってことは、NECはもう相当なんだろう。いやはや。

しかし、一方で、次の時代のCPUはスループットコンピューティングなんだと。ベクトルコンピュータに大いに影響を受けたアーキテクチャが続々と登場というながれなんだと。一部似ている部分があるというのに、一方は死にゆく定め、一方はこれから産声をあげる。

でも、スループットコンピューティングっていうが、具体的に収益を上げられる見込みって、どれだけあるのだろうか。GPUみたいなゲーム向けは前例はあるが、willの大勝利で、ちょっと将来の方向性には疑問が残る状態だ。開発費の高騰がそろそろ限界だとすると、これ以上馬鹿みたいに性能があがっても、ペイできないんじゃないだろうか。

ほかに、ビジネスが成り立つ分野ってはたしてあるんだろうか。きっと、一部のR&Dの部門で使われるようになるっていうのは、大いにあるだと思う。でも、大衆化するようなものがはたしてあるんだろうか?認識、抽出、合成と言っているが、果たして…。少なくとも、現時点ではない。

自分は、スループットコンピューティングというのは、可能性が将来に大いにあり、面白くてチャンスのある領域だと思う。しかし、現在、もうかなりスループットコンピューティングの世界に足を突っ込んできているのに、世界のどこにもそれが活かされていない現実をみると、非常にいやな予感がしてくる。

今回のHPC向けのベクトルCPUビジネスの死が、そちらの方向には、実は未来はないんじゃないかと予見、暗示しているようで、なおさらいやな感じだ。

でも、ものは考えようだ。地球に隕石が落ちて、恐竜が死に絶えたおかげで、陰でひっそり生きてきた哺乳類がその後に大繁栄をしたという話があるじゃないか。ベクトルという恐竜の死は、ひょっとすると、ほかの新種が生まれるのになにかつながるかもしれない。

それに、偶然か、我が身かわいさか、わからないけど、最近、よく脳型ってチャンスじゃね?って、まったく関係ない人たちと話していて、よくなる。不思議なほど。やっぱり自分はスループットコンピューティング=超並列時代には脳がくると思う。ロボットだって、脳いるしね。時代よ、もうすこし待ってくれ!

2009年4月9日木曜日

ネウロン

なんで、このブログの名前を、神経回路網模擬実験場にしなかったんだろうとよく思う。ネットワークにしなきゃ早く計算してもあんまり意味なくね???う~ん。

なにかの因果律の導きか、最近NEURONを結構使っている。NEURONは単一細胞をマルチコンパートメントで計算するのが得意だが、最近はネットワークのシミュレーションにも、拡張されつつあり、最強になってきてるんじゃないのって感じである。やっぱり脳はボトムアップでいくのが王道なのだ。

だから、この路線を目指したがゆえに、名前はあえて神経”細胞”模擬実験場としてはじまったのだ、ということにしよう。どうでもいいというか、よくわからないというか、全然面白くないイィィィィ、ウリィリィィー。いいんだ、自分では納得してるんだ。なんかいいプロジェクトエックスみたいじゃないか。

そもそも、神経とか言ってる割りに、トリッキーな計算機の話ばっかりじゃないかというのが、一番問題だ。いや別に問題じゃないけど、なんかタイトルとの乖離があるよな。いいんだ、いつかつながるんだ。

そういえば、タイプしてて、ネウロって、neuroからきてるんだなというのにふと気づいた。シックスとの最終戦が終わってから気づいた。なんかちょっとうれしす。

2009年3月11日水曜日

プロセッサは音楽でいうと何か

はっきりしているところでいうと、

普通のPCはポップだろう。

GPUは、やっぱメタルかな、Nvidiaのロゴからして。

PowerPCは、King crimzonだな。

Cellは、う~ん、難しいな。変態的なキャラを持ちつつ、Sony的なイメージ。なんだろ。保留

ATOMはなんだろう。小粒で最近爆発的に売れるというと…。大橋のぞみちゃんだろうか?

うわ、難しいな。

2009年3月2日月曜日

40にして迷わずらしい

福岡の高校ラグビーのドキュメントの放送があった。
昔はスパルタで先生ががんがん教えるのが普通だったらしいが、ある福岡の強豪の高校では、自分でトレーニングを考えさせて、笑顔でやれ、楽しんでやれという方針でやっているそうだ。

本当に、どなったりとかせず、そのかわり、生徒が答えをほしがっても、自分で考えろ、正解はきまってないと、常に考えさせながらやらせる。

その先生も、昔はスパルタで教えていたそうだが、先生の奥さんの若くしての死がきっかけで、かわったそうだ。奥さんは生きているうちに、やりたいことが、やれたのか?もう少し自分が奥さんにやれてあげたことがあるんじゃないか?人生は短いのだ。もっと楽しんでおかなければならない。生徒たちは、教え込まれたことを、わけもわからずやっていていて、それでいいのか?そう、考えたそうだ。

その強豪高校とは正反対の方針の、超スパルタの高校と、ラグビー大会の決勝戦が行われた。なんて面白い展開。前半は、劣勢。しかし、後半、粘り強く逆転。ちょっとできすぎ。だけど、何連覇もしているそうで、たまたまでもないのかな。

迷いなく、非常に魅力的な笑顔の先生。自分は、この人と同じ空気を持っている人を知っている。その人は、いつも一日中笑っていて、まわりで笑い声は絶えない。ムードメーカーであり、トップでありながら、とにかく自由にやらせる。なぜそうなんだろ?なぜそれでなりたつんだろって思っていたけど、少しわかった気がする。

そういう人の生き方だけが正解というわけではないと思う。しかし、そこには、人生の揺るがない真理があるような気がしてならない。自分もそんな人になりたいが、そういう人になりたいと思って生きても、なんか駄目な気がする。自分は自分でなにかを見つけないといけないような。でも、違う生き方になるとしても、そういうのを知っておいてよかったような気がする。

2009年2月25日水曜日

OLPC

なにか大発見をすることは偉大だ。

なにか大発明をすることも偉大だ。

発見して権威を得てもいい。大発明をしてお金をしこたま儲けるのもいい。

しかし、そういう直接の成果はなくても、人々を育てるというのもまた、かけがえのないことである。その影響力は、もちろん計り知れない。

http://japanese.engadget.com/2009/02/24/olpc-wifi/

OLPCは、ネットブックのせいでかすんでしまったかのようにみえたけれど、ただノート安くするだけが目的じゃない。こんな光景がみられるなら、自分も買ってみようかな。

地球規模で問題が起きているならば、やはり、地球のなるべく多くの人と情報を共有して、解決するのが、一番強力で、地球の問題のコモディティ化による解決となるだろうかという夢をみるな。

2009年2月20日金曜日

冬のおわり

世の中知らないことって結構あるね~。

キキキリンの夫は内田裕也なんだって。そうだったような気もするけど、そうだっけ?

キキキリンは昔違う名前だったんだって。内田裕也と別居で30年くらいなんだって。

でも、がんをきっかけに、お互いすこし逢うようになったんだって。

どうしてとか、どういう気持ちでとか、薄っぺらい感じならわかるような気もするけど、きっと、そんなの超越しているよな、絶対わかってない、自分。きっと、年をとったらわかるんだろう。

なんか、適当にいい話だなって思いたくないんだけど、いい話だと思っちゃうな。

椎名林檎の「メロウ」って昔の曲なんだって。

この曲好きだったから、また、林檎名義でいっぱだすのかなって、昔の感じで出すのかなって勘違いしてたから悲しいな。

その流れで、カプチーノって言う曲を聴いた。相当昔の曲で、テレキャス?かなんかバックで語りひきみたい。昔、これをバイトしながら聴いてたから、なんともいえない気持ちになるな。

テレキャスを弾こう。東京行って、まずテレキャスを買おう。そしたらなんか、はじまる気がする。

2009年2月11日水曜日

larrabee in PS4?

今、ネットではPS4にLarrabeeが載るかもなんてうわさがでて、結構ホットに。ソースはあやすぃ感じだけど。

自分は、昔考えたんだけども、PS4にLarrabeeは、ないこたないけど、CellがCPUでLarrabeeがGPUなんてそんなバカな構成はあり得ないんじゃないかと思って、Xboxのほうがありえるんじゃないかという結論に達した。core込みで。

そりゃ、面白い変態ハードっていう意味で言ったら、Cell+Larrabeeなんて、面白くて鼻血が出そうだけど、それを責任を持って使う立場の人間のことを考えたら、かわいそすぎる。自分は全然ゲーム開発者ではないので、いらぬお世話とは思うけど。

次の世代のゲーム機の大きな問題の一つは、どうやって製作コストを増大させないかだ。今世代ですら、PS3のほうがピーク性能は上のはずなのに、製作しやすいけどピーク性能は低いxbox360のほうが性能をよく発揮していて、総合的な仕上がりはPS3で微妙に悪いことが結構多いみたいだ。

次でも、なんか得体のしれない実験的なものを開発者にただ放り投げるようなことを、またやったら、もう終わりだろう。

逆に、多少性能が落ちるようなことがあっても、まったく新しいことができるとか、とっても使いやすいっていうのは、Xboxみてもwiiみても正しいといえるんじゃないか?

だから、たとえば、Larrabeeだけ2個のせたゲーム機で、グラフィックもCPU部分も共通にかける、使えるみたいなシンプル構成とかのほうが、Cellと混ぜるより、まだましなんじゃないだろうか。もしくは、思い切ってCPU、GPU、SSD、コンパイラ、各種ライブラリ、などなどを全部Intelから調達して、All Intelしか入ってない状態でやるというのも、いいんじゃないだろうか。節操がなさすぎるけど、そこまでやるなら逆に面白いじゃね?

あと、これはありえないことかもしれんが、CellとLarrabeeを乗せるんだったら、Cell、Larrabeeのどっちを開発するときでも、2つの違いを勝手に隠蔽してくれる仕組みがあれば、これまでのCell資産がLarrabeeでも使え、Cellも引き続き使えるとかってことになって、よいなんてことがありえるかもしれない。いやないかな?妄想レベルかな?アーキテクチャがすごく似てるから、できそうな気がするけど、たぶん無理だな。Intelの身になってみても、そういうことに協力してくれるかというと、難しそうだな。

いや~、でもおもしろすぎる話ではある。どうなることやら。

2009年2月7日土曜日

ローカリティ

今局所性が熱いらしい。

局所的なメモリの重要性は、自分もいろいろマルチコアプロセッサを使ってきて、実感してきた。局所メモリって言うのは、ある程度の演算器リソースの集中するところに、高速なメモリを置くという形で、CellとかGPUでも実装されているし、Powerでは、キャッシュをそうやって使うモードがあるらしい。

思ったのが、そういうローカルメモリがあるってことは、ブロードキャストを高速にできることと一緒なんだということ。ローカルメモリに転送した内容を、ばっと演算器でいっせいに使えば、そのデータの流れはまさにブロードキャストになる。なんで、ローカルメモリで転送データ量が節約できるかわからず、考えていたらふとそれに気づいた。間違ってる?あたりまえ?だから、脳のような階層構造型のネットワークは、ローカルメモリがあれば擬似的に実装できる。

そうして考えていくと、プロセッサのネットワークの結合様式は、ローカルメモリへの転送が十分にできるようなものであれば、一応、脳的には十分ということになる。全結合の必要はないが、それなりの帯域は必要。だから、Cellのリングバスっていうのは、なかなか良い妥協点なのかもしれないな。

しかし、しかし、データの局所性というのは、現行のプログラムの容易さとは相容れない。どうやって局所性を生かすか、そういうのは、普通のCPUだと、キャッシュで確率的にうまくいくことを願う、気を使うということであって、人間は直接触れない。逆に人間が触れるようにするとどうなるかといえば、多くのゲーム開発者が死の行進をしているのを見ればわかるぞな。

それは、学習後のバックプロパゲーションの結合の内容見たって、その結合強度にどういう意味があるのかわからないとか、脳の中の個々の神経細胞がどういう役割にあるか理解しにくいとかって言う理由も、そのローカリティの難しさと関係するような気がする。よくわからんが。

とにかく、今の感じだとローカリティを、グローバルな視点から簡単に扱えるようにできるようにする、もしくは、プログラムで自動的に変換してくれるって言うのは、難しそうだ。

よく知らんが、ローカリティを考慮したプログラミング言語ってあるんだろうか?なんか、明示的に指示や指定を入れることで、ある程度の自動化とかできなくもないだろうか?でも、ローカルメモリ量とかによって、全然変わりそうだ。そういえば、演算量あたりのデータ供給量みたいな指標があったと思うが、ローカルメモリの量と帯域と、演算量の比のような指標を作って、それを設定すれば、よいなんてのはありえるかな?

2009年1月30日金曜日

え!まじ!?

今、WBSを見てて、失業者がどんだけ増えたとかで、うわー、これは現実か?なんて思ってみてて、同時にTechonの記事を見てて、NECが自動車につぎ込みすぎて大変とか出てて、自動車つぎ込んでりゃそりゃ今は、ひどいことになるなあなんて思いつつ、テレビを見てたら、

NEC、東芝と半導体事業を合併か?将来的には富士通も?なんて感じのニュース。

えー!!!!????本当かい!?

そんなことがありえるのか!そのうち業界再編がやってくるなんてうわさは聞いていたが、実名でテレビに流れているのを聞くと、さすがにびっくりだ。

そいつはかなり大変なことだが、合併である意味強力な半導体事業体が生まれるというのは、夢がある。
これだけの不況で、もしそんなことが本当に起きれば、きっとせっかくだから、俺たちの本気をみせようぜ、夢のあることをやろうぜなんつって、なんかすごいのを作るとかありえそう。

あいかわらず、あまあまちゃん観測ではあって、中の人はそれどころじゃないかな…。

しかし、こうなってくるとね、もちろん、いろいろ心配はあるな。だって、ここらへんて、でっかいことをやるっていう話があって、そこがそんなになっちゃうとどうなるわけみたいなのが…。

まあ、日本がつぶれなけりゃ大丈夫だろうかが、なにが起きるかわからん世のなかだからなあ。

2009年1月26日月曜日

桜井よしこの話を聞いて

桜井よしこの発言を聞いていて、この人は筋が通っていていいなと思った。国家の外交は軍事力がものをいうというようなことを言っていて、この人も軍事力は否定はしないんだなというのを知った。

これはもちろんそうなんだろうけど、それはどうやっても変えられない現実なのかなと、自分はいつも思う。そういう軍事競争を続けていくことが、今の国益にはかなっても、いつか、地球が破滅していくようなことにつながって、結局、だめってことにならないんだろうか。といいつつも、現在のこの現実はどうにもならないとも思う。

有史以来、常に人間にとってあるべき姿を保った国なんてなかったんじゃないだろうか。
人間は常に過ちを犯し、また、悪の部分を持っている。
これからもその人間の素性はかわらないだろう。

だとしたら、そういう人間がつくる国家に、信頼をおいてよいのだろうか。
過ちを犯したら取り返しのつかない大きな力を国家が持つ状態にしてもよいのだろうか。

国家が力を持てば、戦争などで、大勢の人間が不幸になる可能性がある。ならば、国の大勢の人間がそれを支持しなければ、国家の力を弱めることはできるだろう。

しかし、そういう状況で、ある国が強い力を持ったら、弱体化した国は不利になる。

国が力を持つのを止める術は、結局ない。そうなると、結局国は力を持って、対抗するしかない。

結局、力を放棄することはできない。しかし、力は放棄どころか、テクノロジーでどんどん増大していく。

まだ力が小さいうちは、間違えても擦り傷程度で済むが、力が大きくなりすぎたら、取り返しのつかないことになる。そうわかっていても、人間は、国家は、必ずその間違いを犯すだろう。

国が取り返しのつかない過ちを犯すのを、人類の運命として受け入れるしかないのだろうか。

それとも、人間の尊厳を奪うことになろうとも、人間の種としての性質を変えて、たとえばDNAの改変するなどにより闘争する性質を人間から奪うなどの強引な方法をとってでも、生き残ったほうがましだろうか。

それとも、国家に変わる地球規模のシステムが確立して、対立がなくなるという時代がありえるだろうか。一見、とても魅力的に見えるが、地球規模の社会主義であり、腐敗にはあがらえないんじゃないだろうか。それでも、戦争で共倒れよりましっていう考えもあるかもしれない。

でも、現代は昔とは違うんだ、透明性が極めて高いシステムで、民衆の監視の目を常に受けているならば、世界政府もできるんじゃないかというような気も少しする。

しかし、透明性を保つ保障って果たしてできるのだろうか?わからない。

今の国家が、今のままちょっとずつ小競り合いをしながら、やっていくのが、結局、なんとかクライシスを回避しながら、うまく機能していくなんてことなんだ、ってことはあり得るんだろうか。

まあ、なんにせよ、人口爆発や資源の枯渇や食糧問題やで、きっと近い将来立ちいかなくなるということがやってくる。その時には戦争も起きるかもしれない。それを経てこそ、今のシステムの悪いところをどうするかが、痛いほどわかって、それに対処できる方法を地球規模で皆が議論し、実感し、賛同できることになるのかもしれない。逆にそれぐらいのことがないと、今のシステムは繁栄の一途をたどっているから動かせないかもしれない。それが滅びや大破壊へ向かっているとしても。

なんか破壊的イノベーションとか、恐竜みたいだな。

2009年1月25日日曜日

くし柿ロボット

たまたま夜テレビを見ていたら、くし柿をつくる農家のドキュメントみたいなのがやっていた。

その農家では、忙しい時に、おばあちゃんが睡眠4時間でずっと柿をくしに刺し続けるそうで、普通は男の人がやるんだけど、なぜかおばあちゃんがやっているそうだ。自分だったらねをあげるんじゃないかと思って、えらいなあと思った。

この串に刺す作業は、柿のなかの種に当たらないようにうまくやらないと、だめだそうだ。これはきっとなかなか難しくて、ちょっと修行しないとできない。

でも、こういう作業を、もしロボットができたら、楽だろうなあ、いいだろうなあと、つくづく思った。

たとえば、ASIMOみたいなのの、もっと知的レベルがあがったやつが、産業アシストロボとして、1000万円くらいで買えて、串を刺したり、柿を運んだりするのを手伝ってくれるとする。5年間はだいたい動くことが保障されているとする。1年のラーニングコストは100万円とする。


1年あたりのコストは、300万円。朝も昼も夜もずっと作業できるので、労働力としては、人の2倍、3倍を稼げるとする。しかも、福利厚生などはいらない。労働力の安定供給という利点もある。

この場合、実質、年100万位のコストで人間一人分働けるので、結構いけるんじゃないだろうか。

でも、今はきっとロボットのコストって、ここで仮定したようなレベルとはかけ離れているし、まず、高度な認知処理というのが全然できないので、成り立つわけはない。

でも、まったく不可能とか夢だというレベルでもないというのは、皆なんとなくそうなんじゃないかと思うんじゃないだろうか。

コストは量産すればなんとかなる。また、ロボットの運動性能などは、産業としてまわるようになればどんどんブラッシュアップされていくだろうから問題ないだろう。今問題なのは高度な認知処理ができるかというところじゃないだろうか。

やっぱり脳に当たる部分をつくれたら、波及効果ははかりしれないなと、またふと思ったのであった。

2009年1月16日金曜日

コーヒーで幻覚

ふと、ウェブニュースを見たら、コーヒーを飲みすぎると幻覚を見やすいらしい。

幻覚ってなんでみるのか。そりゃ、コーヒーに入ってる物質が脳に効いてるからだろって。神経細胞の発火に影響するからだ。

発火活動は幻覚の映像を決めている。

じゃあ、赤ちゃんにコーヒーを飲ませたらどうなるのか?子供でもいい。まだあまり知識がないから、知らない知識にからんだ幻覚はみないよね?きっと。

でも、知らない知識を表現する発火活動を、もし、子供に起こすことができたら、知らない知識の幻覚をみれるのだろうか?知らない知識を表現する発火活動を起こすということ自体が理論的に無理ってこともあるかもしれない。そういう発火活動を起こす、神経回路網ができてないとだめという。

それじゃあ、どういう回路構成は、どういう情報を示すというのはどうやって決まっているの?いつ決まるの?時間的に、個体的に、変化したり、共通したりするの?
自分のイメージとしては、視覚で言ったら、視覚野のどういう段階で、どういう情報処理をする神経細胞から入力を受けるかで、回路内の役割で、意味は決まるような気がするなあと、思っている。

だとしたら、情報処理できるその回路の能力によって、また、各段階の神経細胞の役割で、幻覚への作用はできるのだろうか?

ちょっと、途中で回路構成がかわったら、その神経細胞の発火活動の幻覚におよぼす影響はかわるのだろうか?

視覚野の細胞の発火が幻覚に直接影響するっていうことも、よくわかんないから、なんともいえないな。

個々の細胞の発火じゃなくて、ネットワークとしての発火のパタンが決めるなんてのもよくある話だよなあ。あるアトラクタに落ち込んだら、ある情報表現みたいな。視覚野のどの段階で、どういうアトラクタに落ちるかが、幻覚を決める?

は、待てよ。男は、おっぱいが好きだとかあるから、遺伝的、ひいては神経回路的に、共通するイメージを表現する神経回路の符号化パタンはあるはずだ。ちゃんとDNAにコードされていて、どう発現するかはわからないが、決まった神経の発現にいたっているのは間違いないだろう。それがわかればいいんだ。

ということは、おっぱいが全然好きではない人とおっぱいが好きな人の間の遺伝子の違いを調べて、その遺伝子の発現するしかたを詳細に調べて、さらに、よく発現してる神経細胞がわかれば、おっぱいを事前にコードする符号化ルール、ひいては一般的な神経細胞の情報符号化ルールがわかるじゃないか!?

*いまさらこいつはなにをいてるんだっていう、痛々しい視線を感じるっす*

やっぱ、神経をつなぎ変えて、情報処理の可能性がかわっただけで、神経細胞が発火したときの意味が変わるというのは、なんかオカルト的だから、神経回路の発火パタンとして、符号化のルールがきまるほうがまだ、ありえる気がするな。

だとしたら、おっぱいアトラクタみたいなのが、あるのかもしれない。この回路構成で、こういうアトラクタに落ち込んだら、おっぱいというのが。

っていうかさ、まず、幻覚をみているときの、部位をMRIで調べればいいんじゃね?>俺

2009年1月11日日曜日

FFXIIIとか

今日は徹夜で原稿書き。溜息をつきながらだらだらWeb徘徊していると、FFの新作画像を見つけた。

http://www.square-enix.co.jp/fabula/ff13/

す、すごい。

自分はいままで、FF7までしかやってないで、だいぶ、ゲーム卒業状態だったのが、昨年試しにWiiを買ってかなり感動、ちょくちょくやってる。それで、もう、PS3はだめだな(ゲームは)と思っていたんだが、このFFXIIIの画像をみたらびっくらこいた。もう、絵画の域だ。これなら、1万でも買う。PS3来ちゃうかも。まさにこれが高級レストランというものだー!byKたらぎさん、って感じ。でも、これ本当にこのままのクオリティーで出せるんだろうか?まさかムービーじゃあっていうのが怪しい…。

でも、もしこのクオリティが本当なら、すごいことだ。

見た瞬間、現実以上の世界にいけるという衝撃を直感的に受けて、なぜかFF黄金時代の回顧までしてしまった。たぶん、あの頃のFFは、今までに見たことのないドラマチックな世界を見せてくれていたからだろう。

今年でるのかなあ?本当に楽しみになるなあ、これ。

そういえば、最近、PS3で面白そうなのいっぱいでてるな。まだやってないけど、MGS4は面白そうだ。暇ができたら買うつもり。あとBio5が3月頃だっけ?KillZone2ってのも、リアルすぎてすごいから、買ってみようかなと思ってる。あれ、みんなFPSじゃん。Wiiのポインティングデバイスが使えたら、最強なんだけどなあ。Bio4はめっちゃ面白くて、あの感覚を覚えてしまうとねえ。

2009年1月9日金曜日

闇から光へ

先日、たまたま、てんかんの症例や治療についてのセミナーがあった。
てんかんは、自分とは直接関係する研究ではないが、脳研究に携わると話を聞く機会が結構ある。

病気というのは、正常に機能すべき部分が、うまく働かないために起きるから、そもそもどのようにして働いているかわからない対象(脳とか遺伝子)を研究をする人にとっては、その情報を得ることは対象の機能の解明する助けとして非常に重要である。

そういうわけで、てんかんのお話に対して、脳の研究する人は非常に関心を持つもので、実際、セミナーは大盛況であった。

興味や関心を持つといっても、症例を聞くとなかなかつらい気持ちになる。てんかんの患者さんは本当に大変である。いきなり意識を失うような場合、命にかかわるような事故にあう危険もある。

てんかんには、実に様々な症例がある。というのも、脳というのは、感情、想起、学習、感覚、意識など、本当にいろいろな情報処理をつかさどっているため、いろいろな機能と関連したてんかんが起きるのだ。たとえば、笑いながらてんかんになるとか、物を食べるとてんかんになるということがあるらしい。

てんかんというのは、おおざっぱにいえば、神経細胞が共同して発火しすぎる現象だ。脳は莫大な数の神経細胞で並列処理を行うので、そういう危険はもともと起きやすいのだと思う。ちょっと違うかもしれないが、たとえば惑星が集まりすぎて、つぶれてブラックホールになるとか、並列計算機で一つのノードにデータ転送が集中して、その処理が律速するとか、ネットのブログが炎上するとか、並列な現象があるところで起きる危機的な現象と似ている。

ここまで進化してきた脳が、こういう危機を克服できず、患者数も世界で膨大にいるらしい。逆にこれだけ進化したから、こういう問題は起きてきたともいえるが。このように脳は並列処理をするが故に、難題を抱え続けているといえるだろう。同じ問題は、これからのマルチコアのコア増加においても発生するのだろうと思う。まず、コア間のバスの転送速度が速くなる限界というのにぶち当たっていくというのがあるだろうが、それをなんかしらの手段で克服すると、次には動的にトラフィックが一か所に集中したとき、クライシスが起きるということが問題になり始めるんじゃないだろうかと思う。そういうことは、もちろん、もうインターネットの世界では普通にアクセス集中という形で起きているし、現時点でも下手なコードを書くとマルチコアプロセッサでは効率低下が起きる。GPUでは、その実体験を自分もしたんだけどね。

こうして考えていくと、やっぱり、並列計算では、個々のプロセッサの処理能力というのはそこそこでいいのだと思う。問題は、いかに結合を作り、データ転送をするかなのだと思う。または、ネットワークでうまく働くような、プロセッサの質的変化を考えるべきなのかもしれない。神経細胞はそうだし。

ということで、本日の主張:

プロセッサ業界よ、脳研究者を雇用するのだ!!!

2009年1月6日火曜日

昔のMacintosh

たまたま昔のMacの仕様をみかけた。

CPU:68000
クロック周波数:7.83MHz
RAM:512KB
フロッピーディスク:400KB

RAMが512KBしかなかったんだなあ。

でもこうしてみてみると、性能が桁違いに増えて、できることは変わったかというと、桁違いには変わってないんじゃないかと思う。

もちろん質的変化というか、格段にやれることは増えたけど、千倍とか100万倍とかっていう感じじゃない気がする。

そうやって考えると、15年後の世界も少し見えてくるかな。

2009年1月3日土曜日

LSとレジスタ

最近、Cellでまたプログラムを組んでいる。今回は、あるニューラルネットみたいなもんなんだが、今までになく、演算が軽くてデータ転送は多い。

なんとか、データ転送が律速にならないように、まとめてLSに転送したり、何回も利用したりして、なるべく転送を減らしている。

そうこうして、LS<->DRAM間のDMA転送はかなり量を減らして、こりゃいけると思ったら、今度はLSからレジスタへのロード/ストアが律速になっていることが判明。

LSとレジスタの間の転送量ってそこまで気にしてなかったので、調べるとどうやら片方向16B/cycleらしい。

ということはだ、spu_maddで、毎サイクルLSにある違うベクトルに対して、2命令同時実行で読み書きはできないっちゅうことだ。なんてこったい!

これは結構きつい。まえから、なんとなく、うすうす感づいてはいたのだが、そこまでロードと演算の比が厳しいアプリケーションは今までなかったのだ。画像処理で少しあったけど、ここまで厳しくはなかった。

それで、いろいろどうすっぺかとコードを見て、結局なるべくレジスタにデータを乗せといて、ぐるぐる使えるようにするのがいいということに行きつく。うう…、辛い。だって、のせないと性能が1/5~1/10とか平気で落ちるが、そんな努力をしろと(涙)。しかし、いろいろやってるとちょっとずつ改善したりして、なんだかんだいって、まだいける、まだいけると、どんどんどつぼに。

どうやら、Cellのスカラデータのロードストアはかなり遅いらしい。たしかに、スカラデータを使っていたら、予測以上に性能が落ちていて謎だったのだ。

そんでスカラをベクトルデータにしたりするが、今度は、LSの容量が足りなくなってくる。

はー、もういや

ガンズアンドローゼズ

このまえ近くのジャスコにいったら、ガンズの新譜のポスターが貼ってあった。
その前で5才くらいの子が、
「お母さんこれ、かっこいい、かっこいい~」
と、泣きながらお母さんに訴えていた。
お母さんはわかった、わかったからもういくよと、泣き叫ぶ子を無理やり引っ張っていきました。

やっぱ、ガンズすげー!!!